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アレオパゴスの祈り

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アレオパゴスの祈り 2009年2月7日


ミモザ

新しい年2009年も、2月を迎えました。皆さまは、今年の新年を迎えられたとき、神さまにどのような願いをされたでしょうか。

昨年の後半に発した金融危機は、世界的な経済危機に発展し、日本でも多くの企業で経営状態の悪化による従業員削減や突然"解雇通告"を受ける派遣社員が毎日のように急増しています。弱い立場に立たされ困惑したまま、新しい年を迎えた多くの人々とともに、この辛く厳しい現実をみんなで受けとめ、つながりながら助け合い生きていくことができるよう、お互いにできることを実行していく勇気を願いましょう。

また、2月11日は、ルルドの聖母の記念日を祝います。1993年からこの日を「世界病者の日」と定められました。身体的、精神的な病気で苦しむ人たちがふさわしい援助を受けられるよう、また、自らの苦しみの意味を受け止めていくための必要な助けを得られるように願って祈りたいと思います。

各自それぞれの意向をもって、今年はじめての「アレオパゴスの祈り」の中でローソクをささげましょう。後ろでローソクを受け取り、祭壇の上のハガキをお取りになって席にお戻りください。

今晩の「アレオパゴスの祈り」は、明日の年間第五主日に読まれる、マルコ福音書1章の29節から39節を取り上げたいと思います。イエスが、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちを癒し、悪霊に取りつかれた者を救う場面です。マルコによる福音を聞きましょう。

マルコによる福音書 1.29~39

そのとき、イエスは、会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。町中の人が、戸口に集まった。イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。

朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、「みんなが捜しています」と言った。イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたした出て来たのである。」そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。
 

(沈黙)

今読まれた福音書には、大勢の病んだ人びとが登場しています。人々は、さまざまな病気で苦しみ悩んでいる人たちや悪霊に取りつかれている人たちをイエスのもとに連れてきます。朝早くから、イエスに救いを求めて集まってきます。そして、イエスは、どこでも病を患い悪霊につかれている人たちをいやしていかれます。

福音の最初にシモンのしゅうとめについての話がありますが、そのときイエスは、"手を取って起こされる"という動作をされています。イエスは、病気の人に触れて、その人を癒しました。イエスに触れられることは、病人にとってどんなに大きな慰めと励ましになったことでしょう。

この箇所の中には、「病気をいやす」ことと「悪霊を追い出す」ということが、同列に出てきています。わたしたち現代人にとっては別のことのように感じられますが、イエスの時代の人たちにとっては明確に区別されていませんでした。悪霊は、「人を神から引き離す力、人と人との間を引き裂いていく力」と考えられていました。当時の人々は、「悪霊」という見えない、人間の力を超えた力が、病気を引き起こすと考えました。ここでは、「熱が去り」つまり「悪霊が去った」というふうに理解されていたのかもしれません。その人を苦しめている悪の力が追放され、その人が神とのつながり、人とのつながりを取り戻すこと、それがイエスの行っていた癒しだと言うことだと思います。

また、福音書の中に、イエスは、「多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである」と書かれています。このことはわたしたち現代人にとっては、不思議に感じられるかもしれません。なぜ悪霊はイエスの正体を知っていたのでしょうか。それは、「人間の力を超えた霊的な力によって」というしかないでしょう。しかし、イエスが誰であるかを知っていても悪霊はイエスとの関わりを拒否するので、悪霊にとってイエスを知っていても救いにはならないのです。

もしかしたら、このことは、わたしたちにも当てはまるかもしれません。わたしたちもイエスが「神の子、キリスト」であることを知っています。しかし、ただ単に頭で理解していてもそれだけでは何の役にも立ちません。問われているのは、わたしたちが、そのイエスとどのような関わりを持っているかということだと思います。

福音の最後に「イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて人里離れた所」で祈っています。 イエスが何をどのように祈ったかは書かれていませんが、「近くの町や村へ行こう。」と弟子たちに呼びかけます。この行動は、イエスが祈りの中で御父から示された「神の望み」だったでのではないでしょうか。人間的な視点から見れば、イエスの活動は、カファルナウムで成功しています。悪霊は追い出され、病人は立ち上がり、イエスは大勢の人たちから賞賛を受けています。ここに留まることに何の問題もありません。しかし、イエスは祈りの中で、人の思いとは違う神さまの望みを見いだしておられたのでしょう。イエスは、この状況の中で神さまが何を望んでおられるかをしっかりと受け取られました。わたしたち一人ひとりも祈りの中で、沈黙のうちに語られる神さまの言葉を聞き、受け取っていくことができますように。

(沈黙)

2月11日は、ルルドの聖母の記念日を祝います。ここで、南フランスのルルドというところに当時14歳だった貧しく無学に近い少女、ベルナデッタ・スビルーに聖母マリアが現れた出来事をご紹介しましょう。

ルルドの聖母

それは、1858年2月11日のことでした。ベルナデッタ(1844-1879)は、郊外のマッサビエルの洞窟のそばで薪拾いをしているとき、その小さな洞窟から光が輝き出、その中に真っ白な服装で腰には空色の帯をしめて腕にロザリオを下げた美しい女性が立っているのを見ました。「15日間ここに来るように」とその女性から言われたベルナデッタは、洞窟に通い続けました。彼女はこの出来事を両親や主任司祭に話しましたが、彼らは、なかなか信じようとはしませんでした。多くの人々から疑いの目を持って見られましたが、ある人は好奇心からある人は信仰心から、彼女とともに洞窟に通い祈るようになりました。しかし、不思議なことに、聖母マリアの姿は、一緒に行った人々には見えず、ベルナデッタにだけ見えたのです。

ベルナデッタは聖母マリアからのメッセージ「罪びとの回心のために祈ること、この場所に聖堂を建てること」などを人々に伝えました。彼女のもとに聖母は、1858年2月11日から7月16日まで、18回現われたと言われています。9回目の出現のとき聖母マリアが示す地を、ベルナデッタに掘るように命じると水が湧き出ました。その水を飲んだり、体に浴びると病が治る奇跡が起こり、いつしかその話が人々の中に広がっていきました。16回目のとき、ベルナデッタは、「あなたはどなたですか?」と尋ねると、「わたしは原罪なくして宿ったものです。」と答えられました。

1862年1月18日、約2年間に及ぶ調査の結果、現地の司教は、ルルドのマッサビエルの洞窟に聖母が現われたことを公的に認めました。

その後1866年にベルナデッタはヌヴェール愛徳修道会の修道院に入り、1879年、肺結核により35歳の短い生涯を閉じました。現在、彼女の遺体は腐敗しないまま安置されています。1933年、ベルナデッタは聖人に加えられ、記念日は4月16日と制定されました。

ベルナデッタに聖母マリアが現れてから150年が過ぎました。現在は、ルルドの聖母の大聖堂が建てられ、人口1万5000人のこの小さな町に、世界中から毎年500万人以上の人々が巡礼に訪れています。

『カトリック聖歌集』No.322 「あめのきさき」 ① ④ ⑤

祈りましょう。
   いつくしみ深い神よ、
   わたしたちに絶えず心とからだの健康をお与えください。
   聖母マリアの取り次ぎによって、わたしたちがすべての危険から救われ、
   互いに協力し合い、感謝のうちに生きることができますように。
   わたしたちの主、イエス・キリストによって。
   アーメン

これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。


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