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アレオパゴスの祈り

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アレオパゴスの祈り 2012年6月2日


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今から、15年前の1997年6月、1回目の「アレオパゴスの祈り」は、わたしたちのホームページ“Laudate”をご覧になった方々の「祈りはどのようにするのですか」との質問に答え、祈りたいと祈りの場を求めてくる人々とともに、このチャペルで静かに始められました。それ以来、毎月、第1土曜日の夜、ご一緒に祈りをささげてきました。毎日の仕事や人間関係で疲れを感じている人、ゆっくりと自分を見つめ取り戻すときが欲しいと望んでいる人、だれに向かっていいのか分からないが、祈りたいと望んでいる人・・・すべての人に開かれた祈りの場となりました。

今晩も主イエスは、15年前と同じように「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」とわたしたち一人ひとりをここに招いてくださいました。神の不思議な計らいに感謝しながら、今晩、15年目を迎える「アレオパゴスの祈り」に参加するわたしたちを主イエスが、豊かに祝福で満たしてくださいますように祈ってまいりましょう。

皆様の祈りに支えられ、ともに歩んできた「アレオパゴスの祈り」が、これからも参加する一人ひとりの心の糧となり、喜びのうちに続けられていきますように。ローソクに祈りを込めて祭壇にささげましょう。

今晩の「アレオパゴスの祈り」は、アレオパゴスの名前が登場する新約聖書の使徒言行録の中から、取り上げてみたいと思います。アレオパゴスとは、ギリシア神話にでてくる軍神、戦の神、アレスにささげられた丘という意味だそうです。アテネにある丘で、聖パウロが宣教した場所として、聖書に親しむ人々にとってなじみのある名前です。また、ソクラテスやプラトンが議論をした古代の広場の跡がすぐ真下に見下ろされるところとして知られています。パウロが「アレオパゴス」で語った体験はどのようなものだったのでしょうか。そのことを考えてみたいと思います。

異邦人の使徒となったパウロの、2回目の宣教旅行のときの出来事です。マケドニア地方のベレアでの宣教は、順調に進んで、多くの人々が信者になっていました。しかし、テサロニケのユダヤ人たちは、パウロがベレアで成果をあげていることを聞き、わざわざ押しかけて来て群衆を扇動し妨害し始めました。パウロは、この町から逃げ出さなければならなくなりました。今まで一緒に宣教していたシラスとテモテを誕生したばかりのベレアの教会に残し、付き添ってくれる兄弟たちとともにアテネに向かいました。アテネに着くとすぐにその兄弟たちをベレアに送り返したので、パウロは、ただ独りでアテネにとどまることになりました。ギリシア第一の都アテネで、だれも知り合いもなく、パウロはさびしく心細かったことでしょう。そのとき、アテネまで同伴してくれた兄弟たちに「シラスとテモテが早く自分のもとに来るように」と伝言しています。アテネでの宣教活動が記されている使徒言行録を聞きましょう。

使徒言行録17.16~18.1

パウロはアテネで二人を待っている間に、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した。それで、会堂ではユダヤ人や神をあがめる人々と論じ、また、広場では居合わせた人々と毎日論じ合っていた。また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者もパウロと討論したが、その中には、「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」と言う者もいれば、「彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」と言う者もいた。パウロが、イエスと復活について福音を告げ知らせていたからである。そこで、彼らはパウロをアレオパゴスに連れて行き、こう言った。「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。奇妙なことをわたしたちに聞かせているが、それがどんな意味なのか知りたいのだ。」

すべてのアテネ人やそこに在留する外国人は、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていたのである。パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。

世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人ひとりから遠く離れてはおられません。

皆さんのうちのある詩人たちも、『我らは神の中に生き、動き、存在する』『我らもその子孫である』と、言っているとおりです。わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで作った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。

さて、神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。

それで、パウロはその場を立ち去った。しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。

その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。

(沈黙)

パウロの宣教の舞台となったのは、アクロポリスの丘の北西に広がっていたアゴラというところでした。アゴラは市民生活の中心部で、ここで政治、裁判、商業、祝いごとが行われていました。「すべてのアテネ人やそこに在留する外国人は、何か新しいことを話したり聞いたりすることでだけで、時を過ごしていた」とあるように、実際ここに、ギリシアのみならず諸外国から好奇心と知識欲旺盛な文人や学生が大勢集まっていたようです。

パウロは、そこで哲学者に扮して、福音を宣べ伝えようとしました。毎日広場で出会う人々を相手に教えを語り、その中には、エピクロス派やストア派の哲学者も含まれていました。エピクロス派の人々は、死後の世界も現世を超えた次元もそういうものは一切認めない人々でした。快楽が人生の目標と考え、自分が幸せになることこそが大切なことであり、彼らにとって地上の人生は刹那的なものでした。基本的に無神論者でした。

他方のストア派は、地上の人生を苦しむべきものとしてとらえていました。理性を重要視し、すべての感情を理性によってコントロールすることでした。しかし、現実の出来事を直視し、一つ一つの問題に真剣に取り組む姿勢ではなく、どちらかと言えば嫌々ながら人生を過ごす姿勢を説くものでした。神については、すべての中に神は存在するという汎神論的思想を信じている人たちでした。正反対のこの二つの派でしたが、共通点は、地上の人生を軽んじる思想」であったと言うことができます。

アテネの哲学者たちが教えていたこの「地上の人生を軽んじる思想」と対決しているのが、パウロの説教でしたが、彼らは、パウロの弁舌に少なからず、魅力を感じたようです。しかし、知的合理主義者の彼らには、パウロのイエスとその復活に関する話は、全く理解できず、パウロをアレオパゴスの評議所に連れて行きました。そこは、アテネ最古の会議や法廷が開かれていたところだと言われています。

彼らは、「君の教えていることが何のことなのか知りたい」と申し出、パウロは演説したと言われています。これは、パウロに対する攻撃や悪意によるものではなく、昔からギリシア人は知的問答議論で暇を費やすことを好んでいたためでした。パウロの説教は、いよいよ核心に入ります。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしは宣伝しているのです。では『お知らせしましょう』」

つまりパウロが説く神は、「あなたがた」が拝んでいるものだと言うのです。「知られざる神」とは救い主であり、天地万物の創造主であり、復活の神であり、人類を導くものであるとパウロは、説き始めました。パウロの話は、聞いていた人々の理解と全くくい違ってしまいました。ギリシア的合理主義には、超自然的理解を受け入れる用意がありませんでした。死者の復活ということを聞くと、聴衆からつぶやきが起こり、ついにはあざ笑いとなり、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言って去って行ってしまいました。こうしてパウロのアレオパゴスでの説教はほとんど効果をあげることなく終わりを告げ、パウロは、アテネ全体の神々を相手に信仰の戦いをする形になりました。

旧約聖書をとおして救いの歴史を学ぶことのなかったギリシア人にとって、救い主が何のことか分からなかったとは当然のことと言えるかもしれません。ギリシア人は、人間には不滅の魂があることを信じていましたが、肉体の復活は常識外れのことでした。しかし、パウロにとってイエスの復活は、告げるべき福音の本質で言わずにはいられないことでした。パウロは、こうしてアテネでの予想外の反応に大きな挫折感を味わい、さびしく孤独に町を去ることになりました。

たしかにパウロは、多くの学者たちを納得させることができず人間の目から見るなら失敗だったかもしれません。しかし、パウロが経験したこの失敗は、光を与えました。パウロは何についても誇ることができず、自分の力では何もできないことを悟りました。彼に力を与えてくれるのは、神の働きであることを実感し、打ちひしがれていたパウロの心は、再びよみがえったのです。

後にパウロは、このときの気持ちをコリントの信徒への手紙で次のように述べています。

キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、ことばの知恵によらないで告げ知らせるためだからです。十字架のことばは、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。それは、こう書いてあるからです。

「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、
賢い者の賢さを意味のないものにする。」

世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。

ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。

神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
(1コリント1.17~19、21、22、25)

下記の絵をご覧ください。これは「アレオパゴス」で説教をするパウロの絵です。

アレオパゴスで説教するパウロ
アレオパゴスで説教するパウロ(ラファエロ)


1514年の末、教皇レオ10世は、ロレンツォ・メディチの息子、ジョバンニ・メディチの治世のとき、ラファエロ・サンツィオに、バチカンのシスティーナ聖堂に10枚のタペストリーのために下絵を描くように依頼しました。タペストリーの題材はほとんど新約聖書の使徒言行録からのものでした。その一枚がこのアレオパゴスで説教するパウロです。ラファエロは、アテネのアレオパゴスが、見る人の目にそれらしく映るように建物を昔風に描き、正面には、円柱に囲まれた神殿をおいています。

左の方にはアーチと浮き出し飾りのある石で、広場があるかのように古典的空間を演出しています。数段の階段によって地面から高くした場を作り、ここにアテネの人々に話すパウロを立たせます。

ラファエロは、使徒言行録の物語を文字通り再現し、記述に忠実であろうとしています。弁証法を使って熱心に議論するストア派のグループの人たち、ポーチのそばに座りこむ人、立ったままほとんど無感覚、あるいはうさんくさそうな表情でパウロの話を聞くエピクロス派の人々、また赤いマントで身を覆う人などさまざまです。

絵の右下には、その日パウロの演説を聴いて回心し、使徒言行録に名前が記されているディオニシオとダマリスの二人の姿も描かれています。

さらに、エピクロス派の人たちの後ろに、円柱に囲まれた神殿の前におかれた銅像があります。これは、アテネに着いたときパウロに歯ぎしりするほど激怒させた偶像の一つです。そして、ラファエロが下絵の中で、パウロと対象的な位置に描いている像は軍神マーズです。構図の二つの対極は、何か別のものを指しているかのように両手をあげたパウロと、盾を身につけ槍を持つ軍神マーズ。片方は異教文明の神々を支える土台、他方はあらゆるものを新たにすることができる御子の復活、ユダヤ人にとってはつまずき、ギリシア人にとってはおろかと考えられたキリストの復活を表すものです。アレオパゴスの真ん中で、対立する二つの世界を表しています。

これからもわたしたちが、困難や危機の中にあるとき、どんな状況の中でも、あきらめないでいつも希望を持って生きることができるよう、聖パウロの取り次ぎによって忍耐の恵みを求めて祈りましょう。

『パウロ家族の祈り』 p.278「忍耐を求める祈り」

   光栄ある聖パウロ、
   あなたは、キリストを迫害する者から、もっとも熱烈な使徒とされ、
   救い主イエスを地の果てまで知らせるために、
   投獄、むち打ち、石打ち、難船、あらゆる迫害に苦しみ、
   血の最後の一滴までも流されました。
   病弱、苦悩、この世の不幸を、
   神のあわれみによる恵みとして受け入れる心構えを
   わたしたちに取り次いでください。
   わたしたちが、
   この世の過ぎ行く旅路にあっても、神への奉仕を怠ることなく、
   ますます忠実な、熱誠あふれる者となりますように。

最後にマタイ福音書の主イエスのことばを聞きましょう。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
(マタイ11.28~30)

これで、15周年記念ののアレオパゴスの祈りを終わります。


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