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アレオパゴスの祈り

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アレオパゴスの祈り 2016年11月 5日


 紅葉


昨年の12月から始まった「いつくしみの特別聖年」は、11月20日「王であるキリスト」の祭日で、閉幕します。典礼暦も終わりに近づき、世の終わりにキリストが再び来られることを思い起こして準備するよう、わたしたちを招いています。この一年間、わたしたちは神様のいつくしみについて思いめぐらし、指定された教会を巡礼するなど、祈りのうちに過ごしてきました。いただいたすべての恵みに感謝して、ご一緒にこの祈りの時間をささげてまいりましょう。また、11月は死者のために祈る月です。亡くなったすべての方、特に戦争、自然災害、事故などで、不慮の死を遂げた方々をいつくしみ深い御父の御手に委ねて、永遠のご安息を祈りましょう。

わたしたち一人ひとりが心に抱いている意向、祈りを必要としている人々を思い起こして、しばらく祈りましょう。

(沈黙)

お祈りしたい意向を心の中にたずさえて、ローソクをささげましょう。後ろでローソクを受け取り、祭壇にささげ、席にお戻りください。

ここに集まったわたしたちが、この祈りの時間をよく過ごすことができますように主の恵みを求めて、歌いましょう。

「おお、天の主よ」③ ⑤ ⑥

「いつくしみの特別聖年のための祈り」 の最初の段落をご一緒に祈りましょう。
   主イエス・キリスト、
   あなたは、わたしたちが天の御父のようにいつくしみ深い者となるよう教え、
   あなたを見る者は御父を見る、と仰せになりました。
   み顔を示してくださればわたしたちは救われます。
   あなたの愛に満ちたまなざしによって、
     ザアカイとマタイは富への執着から解き放たれ、
     姦通の女とマグダラのマリアは、
     この世のものだけに幸せを求めることから解放されました。
     ペトロはあなたを裏切った後に涙を流し、
   悔い改めた盗人には楽園が約束されました。
   あなたはサマリアの女に、
   「もしあなたが神のたまものを知っていたなら」と語られました。
   このことばを、わたしたち一人ひとりに向けられたことばとして聞かせてください。

「王であるキリスト」の祭日に朗読される、ルカ福音書(23章35~43節)を聞きましょう。

(イエスが十字架に付けられた後、)民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。

十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。

C年の今年、「王であるキリスト」の祭日には、ルカ福音書が朗読されます。十字架にかけられたイエスと二人の犯罪人の話です。先ほど、お祈りした「特別聖年のための祈り」にも登場します。この祈りには、その他にもさまざまな人物が登場します。ザアカイとマタイ、姦通の女とマグダラのマリア、サマリアの女、ペトロです。皆、それぞれ問題を抱えている人でした。財産、道徳的でない人間関係、人間の弱さ。それらの束縛から、彼らはイエスによって解放され、新しい人生を歩んでいきました。

しかし、朗読で聞いた十字架上の犯罪人は、人生の最後を迎えようとしていました。ローマ帝国では十字架刑は極刑であり、ローマ市民に科されることはありませんでした。紀元前一世紀ごろ、ローマの政治家、哲学者だったキケロは、「最も残酷でうんざりする処刑」と十字架刑を非難し、古代ユダヤ人の歴史家ヨセフスは、十字架刑を「最も惨めな死」と呼びました。十字架にかけられた三人は、苦しみの極みを体験していました。

この朗読箇所に登場する人々は、いくつかのカテゴリーに分けられます。十字架上で苦しむイエスと、後に回心する一人の犯罪人、もう一人の犯罪人は、「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」と言い、議員たちも同じような態度でののしります。そして、朗読箇所の冒頭に記されている、この光景を見ていた民衆です。

犯罪人の一人が言います。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」神が人類の罪のために十字架上で苦しむというこの瞬間、わたしたち人間の歴史は全く別のものに変わろうとしていました。「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った犯罪人に対し、イエスは、おっしゃいます。「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」

今、想像力を使って、この場面を思い描いてみましょう。わたしたちも民衆の中の一人となって、心の目でこの光景を見つめましょう。頭の中で、あれこれと考えるよりも、丘の上に立っている十字架を思いめぐらしながら、しばらく沈黙のうちに祈りましょう。

(沈黙)

 いつくしみの特別聖年


「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」このことばはどれほど大きな慰めだったでしょう。罪を犯したとはいえ、残酷な刑に処せられ、極限状態にあった彼は、生涯を終えようとしていたその瞬間、神の大きないつくしみを体験しました。わたしたちは皆、神の前にあって、罪人です。しかし、父である神は、そのことでわたしたちをお見捨てになることはありません。罪人であるからこそ、わたしたちを探し、ご自分のもとへ引き寄せてくださる方です。「いつくしみの特別聖年のための祈り」 の二番目の段落を祈りましょう。
   あなたは、目に見えない御父の、目に見えるみ顔です。
   何よりもゆるしといつくしみによって、自らの力を示される神のみ顔です。
   教会がこの世において、復活し栄光に満ちておられる主のみ顔となりますように。
   あなたは、ご自分に仕える者が弱さを身にまとい、
   無知と過ちの闇の中を歩む人々を、
   心から思いやることができるようお望みになりました。
   これら仕える者に出会うすべての人が、
   神から必要とされ、愛され、ゆるされていると感じることができますように。

教皇フランシスコは、特別聖年の大勅書の中で、次のようにおっしゃっています。
巡礼は聖年の間、特別なしるしです。巡礼は一人ひとりがそれぞれの人生を通して歩む旅路を表す像(イコン)だからです。人生とは旅です。人間は旅人であり、望みの地までの道のりを歩む巡礼者です。それは、いつくしみはたどり着くべき目的であり、そこに達するためには努力と犠牲が必要だということを示すしるしとなるでしょう。巡礼が、わたしたちに回心を促すものとなりますように。御父がわたしたちにいつくしみ深い方であるように、わたしたちも他の人に対していつくしみを示す者となるよう努めましょう。

 主イエスは、この目標に達することができるように、たどるべき巡礼の行程を示しておられます。「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。ゆるしなさい。そうすれば、あなたがたもゆるされる。与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。」(ルカ6.37~38)。わたしたちに言われていることはまず、裁かないことと、罪に定めないということです。事実、人間は表面的なところにとどまって人を裁きますが、御父は心をご覧になります。どんな人にもあるよいところを積極的に受け入れることです。イエスは、ゆるすことと与えることもわたしたちに求めています。わたしたちは神からすでにゆるしを受けたのですから、ゆるしの道具となりなさい、と。神が惜しみなく寛大にご自分のいつくしみの心を示してくださったことを知っているのだから、すべての人に対して寛大でありなさい、と。

 御父のようにいつくしみ深く……、それがこの聖年の「モットー」です。いつくしみには、神がどのように愛しておられるかを示すしるしがあります。神はご自分のすべてをいつも無償でお与えになり、見返りに何かを求めることは決してありません。神は、わたしたちが味わう弱さという境遇からわたしたちを救うために来られます。神の助けとは、ご自分の存在を、それもすぐそばにいてくださることを、感じさせてくださることです。日ごとに神のあわれみに触れることで、わたしたちもまた、皆に対して思いやりある者となることができるのです。
    (教皇フランシスコ、いつくしみの特別聖年公布の大勅書、No.14より一部引用)

しばらく沈黙のうちに祈りましょう。

(沈黙)

「いつくしみの特別聖年のための祈り」 の三段落以降の部分を祈りましょう。
   あなたの霊を送り、わたしたち一人ひとりに油を注ぎ、聖なるものとしてください。
   神のいつくしみの聖なる年が、主の恵みに満ちた一年となり、
   あなたの教会が新たな熱意をもって、貧しい人によい知らせをもたらし、
   捕らわれ、抑圧されている人に解放を、
   目の見えない人に視力の回復を告げることができますように。
   この祈りを、いつくしみの母であるマリアの取り次ぎによって、
   御父と聖霊とともに世々に生き、治めておられるあなたにおささげいたします。
   アーメン。

この特別聖年の間、いただいた多くの恵みに感謝して、マリア様とともに御父をたたえて歌いましょう。

「マニフィカト」②~⑤

祈りましょう。
   主イエス・キリストの父である神よ、
   この恵みの年を通して、あなたはキリストのうちに天からのあらゆる祝福を授け、
   いつくしみと回心のかけがえのないときを与えてくださいました。
   わたしたちは母であるおとめマリアとともに、
   喜びのうちに感謝をささげて祈ります。
   あなたの恵みを味わったわたしたちが、
   それぞれの場で、
   神のいつくしみを人々に伝える道具となることができますように。
   わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
   父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。

これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。



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