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アレオパゴスの祈り

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アレオパゴスの祈り 2018年 6月 2日


 アジサイ


今年、国連が発表した「幸福度ランキング」によると、日本は世界156ヶ国のうち54位、G7と言われるカナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本、英国、米国の中で、日本は最下位という結果が出されました。(「東洋経済ONLINE」参照)このランキングの調査方法は、1人当たりの国内総生産、健康寿命、社会的支援、弱者に対する寛容さ、人生における選択の自由、政府や仕事上での腐敗の蔓延などをもとにしているそうです。「日本の社会は、生きづらい」と表現されることが多くなりましたが、その理由の一つに、「こうでなければならない」、「人の期待に応えなければならない」と考えがちな日本人の特徴にあるのかもしれません。今日は、父である神様の前で、わたしたちがありのままの自分でいるとはどのようなことかを思い巡らしながら、わたしたち自身のため、また社会の中で「生きづらさ」を感じている人々のために、祈りましょう。

わたしたち一人ひとりが心に抱いている意向、祈りを必要としている人びとを神様の御手にゆだねて、しばらく思い起こしましょう。

(沈黙)

お祈りしたい意向を心の中にたずさえて、ローソクをささげましょう。ローソクを受け取り、祭壇にささげ、席にお戻りください

『カトリック聖歌集』No.246「ひせきにこもりて」① ②

マタイによる福音書のことばを聞きましょう。
<マタイ11.25~30>

そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。 そうです、父よ、これは御心に適うことでした。 すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

東京教区、森 一弘司教様の著書、『人はみな、オンリーワン~だれも幸せになる権利がある~』からの抜粋を聞きましょう。タイトルは、「仮面」です。

社会の中では、人はみな、仮面をつけながら生きている。「教師としての仮面」「警察官としての仮面」「医者としての仮面」「営業マンとしての仮面」など、役割を示す仮面である。また「良い医者」「良い警察官」「良い看護師」「良い店員」などなどと、周りの人々から高く評価される人は、個人的な感情は極力抑え、つけている仮面に期待される応対や仕事ができる人である。そうできる人が、プロとして評価される。
しかし、それは社会の中でのことである。家の中に戻っても、それまで社会の中でつけていた仮面を外すことができず、外でつけていた仮面のままに振る舞ってしまうと、家庭の中が堅苦しくなり、注意しないと、子どもたちの心が委縮したり、窒息したりしてしまうおそれがある。
親が社会人として、自らを律し、期待されている役割を完璧に果たそうと努める。それは当然なことである。そうしなければ、社会の中では認められず、片隅に追いやられていくだけだからである。
ところが、家庭とは、それぞれが人間としてのありのままの姿をさらけ出すことがゆるされる唯一の場である。たとえ、親であったとしても、子どもたちの前で自分の弱さをさらけ出して幼児のように振る舞ったり、社会でのつらさやストレスを吐き出したりすることがゆるされる場でなければならない。
教師として、医者として、警察官として、部長として尊敬されている親が、家の中でもそれまでつけていた仮面のままに振る舞うことになると、本人も救われないし、家庭の中も重苦しくなる。
特に、繊細でまだ自己が確立していない子どもたちの心に、深刻な影響を及ぼしてしまうおそれがある。子どもたちはそんな親の前で緊張し、ありのままの感情を表に出せなくなる。中には、その心が窒息してしまう子もいるかもしれない。
家の中では、仮面を外すべきである。人間としてもとの姿に戻るべきである。親も、笑う、しゃべる、楽しむ、遊ぶ、喜ぶ、怒る、泣く、悲しむなどなど、人間としてのありのままの心をさらけ出すべきである。そんな親を見て、ほっとするのは子どもであり、情緒豊かな子どもとして成長していく。また、親である本人も、社会でのストレスやプレッシャーから癒されていく。家庭の中で、仮面を外し、何よりもありのままの人間であることが優先されるべきである。
(森 一弘 著『人はみな、オンリーワン~だれも幸せになる権利がある~』より)


 カシアバアジアイ


わたしたちも社会の中で、人との関わりの中で、仮面をつけて生活していることがあるかもしれません。社会生活の中で、それは必要なことかもしれませんが、「わたし」のありのままを知っておられる神様の前では、仮面をつけている必要はありません。主は、おっしゃいました。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」(マタイ11章 28~29)「ありのままのわたし」を受け入れてくださる主のみ前にいることを感じながら、しばらく沈黙のうちに、祈りましょう。

(沈黙)

父である神のひとり子イエスは、人となってこの世に来られ、死と復活の後、御父のもとに昇られました。しかし、わたしたちの心のうちに住み、いつも共にいてくださいます。そのことに感謝して、『パウロ家族の祈り』p.91の「礼拝」の祈りをごいっしょに唱えましょう。
   人となられたみことば、神のひとり子、御父の輝き、マリアから生まれ、
   今、わたしのうちにおられる神、あなたを礼拝します。
   唯一の師であり真理であるイエス、あなたに感謝します。
   あなたは自らへりくだり、無知で罪深いわたしのうちに来てくださいました。
   マリアとともに、あなたを御父にささげます。
   あなたによって、あなたとともに、あなたのうちに、
   永遠の賛美と感謝、人びとの平和のための祈りとなりますように。
   わたしの知性を照らし、教会の従順な子としてください。
   わたしが信仰によって生き、聖書をよく悟り、
   あなたの熱烈な弟子となることができますように。
   師イエス、福音の光を地の果てまで輝かせてください。

フランスのドミニク・ルブラン大司教が書かれた「今のままのあなたでよいから わたしを愛してほしい」という詩の一部を聞きましょう。わたしたち一人ひとりに語られるイエスのことばが描かれています。
 イエスは言われる。
 「あなた自身のみじめさ、あなたの心の戦いと苦悩、
 あなたの体の不自由さと病とをわたしは知っている。
 あなたの卑しさ、あなたの罪をわたしは見通している。
 しかし、それにもかかわらず、わたしはあなたに言いたい。
 『あなたの心が欲しい。今のあなたでよいから、わたしを愛してほしい……』と。

 愛に身を任せるのに、天使になるときまで待とうとするなら、
 いつまでたっても、あなたはわたしを愛することができないだろう。
 いつ、いかなるときも、熱心なときであれ、無味乾燥なときであれ、
 忠実なときも不忠実なときも、わたしを愛してほしい。
 今のままでよいから……。
 わたしはあなたの貧弱な心の愛で満足なのだ。
 もし、完全な人になるまで待つとすれば、
 あなたはいつまでたってもわたしを愛することができないだろう。

 わたしはあなたの弱ささえも愛する。弱く、貧しい者の愛を好む。
 取るに足りない者の口から出る、「イエスよ、あなたを愛します」という
 叫びが聞きたい。
 わたしはあなたの心の歌のみを欲する。あなたの学識も才能もわたしには必要ない。
 わたしが見たいのは、愛によって働くあなた自身なのだ。

 わたしの心を傷つけるのは、あなたがわたしのことを疑い、
 わたしへの信頼に欠けることである。
 どうか昼も夜も、絶え間なくわたしのことを考え続けてほしい。
 どんなにつまらないと思われることでも、愛のために行ってほしい。
 わたしを喜ばせておくれ……。

 とにかく忘れてはならない、今のままでよいから、
 わたしを愛してくれることを。
 わたしの母をあなたに与えよう。すべてを、この清い母をとおして
 受け取るがよい。

 どんなことが起こっても、愛に身をゆだねるのに、
 聖人になる日まで待ってはならない。
 待っているなら、いつまでたっても
 わたしを愛することなどできないから。
 さあ、今すぐ、このわたしを愛してほしい。
     (ドミニク・ルブラン作 / 石川康輔訳)

イエスは、ご自分が御父から愛されていることをよくよく知っていました。わたしたちも御父から愛されていることをもっと知ることができますように、主が教えてくださった主の祈りを唱えましょう。
   天におられるわたしたちの父よ、
   み名が聖とされますように。
   み国が来ますように。
   みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
   わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。
   わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
   わたしたちを誘惑におちいらせず、
   悪からお救いください。

『カトリック聖歌集』No.657「いつくしみふかき」①~③

祈りましょう。
   父である神よ、
   あなたは御子イエスをとおして、ご自分の愛をわたしたちに現してくださいました。
   あなたの愛のしるしとして、日々いただく恵みに感謝しつつ、
   わたしたちもあなたと人々を愛することができますように。

父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。

これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。



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