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教会カレンダー

復活の主日

第1朗読 使徒言行録 10章34a、37~43節

第2朗読 コロサイの信徒への手紙 3章1~4節

福音朗読 ヨハネによる福音書 20章1節~9節

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復活


キリストが復活しなかったのなら、
わたしたちの宣教は無駄であるし、
あなたがたの信仰も無駄です。
(コリント1 15.14)


今朝は、何よりも復活した主を思うときです。朝早くからマリア・マグダレナは動き、走っています。あの方のことが気になってたまらないからです。

復活の喜びのメッセージは、女性によってもたらされました。その足取りは、はやる心をおさえきれず、小走りになっていました。

今日からはじまる「復活節」の間、弟子たちが復活の主と出会った記事が読まれていきます。
 私たち一人ひとりは、この偉大な出来事を宣べ伝えるために派遣されています。

初代教会から日曜日は「主の日」と呼ばれ、大切にされてきました。日曜日は、1年中「主の日」と呼ばれ、毎週主の復活を記念しますが、復活の主日はこの主日の頂点、祝日中の祝日です。キリストの復活こそ、私たちの信仰の源であり、この出来事は福音書によると、週のはじめの日、つまり日曜日におこったとされています。この日曜日については、教皇ヨハネ・パウロ2世が書かれた『使徒的書簡 主の日』についてお読みになることをお勧めいたします。この上ない日曜日についていろいろの視点で深めることができます。

今日の朗読箇所は、古代から用いられてきた伝統的な箇所です。毎年、同じところが読まれます(ただ第2朗読は、コロサイ、または、コリント1から選択することができます)。

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復活節の第1朗読は、ABC年ともに「使徒言行録」から読まれます。
 今日は10章から、テーマは証人としての使徒です。

証人とはギリシャ世界において、見聞きしたことを法廷などで正式に証しする人、また自分の確信を宣言する人を言います。

ペトロが、天井の幻と聖霊によって勧められ、カイザリアの「イタリア隊」と呼ばれる部隊の百人隊長コルネリウスの家で福音を告げた説教からです。

彼は、イエスの生涯、受難とくに復活を直接体験した出来事として証言します。しかもその意義や救いの歴史の中での位置をも確信をもって証言します。

ペトロは、イエスが<
 ・ヨハネから洗礼を授かり、聖霊により油注がれた者となったこと
 ・十字架につけられて殺されたこと
 ・弟子たちは復活したイエスと共に食事をしたこと
 を紹介し、また、
 ・イエスは全人類の審判者として定められていること、
 ・聖書(旧約聖書)に預言されたとおり、罪のゆるしを与える方であること
 を証ししています。

初代教会が聖霊に導かれて歩み、その中で力強くイエスを証しする弟子たちの姿を味わっていきたいと思います。

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第2朗読は、コリントの信徒への手紙1、または、コロサイの信徒への手紙から選択することができます。

パウロは、コリントの信徒の手紙で、キリストの死と復活の出来事を、「出エジプト記」12章に記されている、救いの出来事と種なしパンの祭りとに関連づけて書いています。

キリストの過ぎ越しのいけにえは、旧約のそれとくらべてはるかにまさる新しい出来事であることを述べます。

キリストは私たちの「過越の小羊」として屠られたので、「純粋で真実のパンで過越祭を祝おう」と言っています

コロサイの信徒の手紙では、私たちは洗礼によってキリストの復活に与ることができたこと、そこで、キリストによって新しい命に生きるキリスト者の新しい行き方を述べています。

私たちの命はキリストと共に神のうちに隠されていること、キリストが現れるときには、キリストと共に私たちの命も現れるのだと教えます。

「上にあるものを求めなさい。……上にあるものに心を留めなさい」と2回もパウロが勧める言葉は、心に響いてくる呼びかけです。

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福音書には、復活を伝えるとき、伝統的な思想があります。復活は生きておられる神の力のあらわれです。「神は生きている者たちの神なのです」。復活は終末的出来事であり、それがイエスの復活で、あのイエスの中に実現されました。

イエスの復活の主役は、イエスを復活させた神とイエスご自身。人間の側からは、ペトロ、ヨハネを中心にする弟子たちと、マグダラのマリアをはじめとする女性たちです。

復活を伝える伝承にはいくつかありますが、主の復活のメッセージを弟子の視点で見るときに、私たちと主との出会いはいっそう深められることでしょう。イエスの十字架と復活の出来事が、私にとって意味あることになるでしょう。

今日から復活節第3主日まで、福音朗読は、「キリストの出現」が述べられます。キリストの復活は何を語っているのか、テキストを参考にしながら深められてはいかがでしょうか。

復活の主日の今日の福音は、ヨハネによる福音書の「空(から)の墓」についてです。ヨハネの記述は、共観福音史家とは異なっています。

ヨハネの証言は、まず、マグダラのマリアの話からはじまります。
 1~2節は、彼女が墓を訪れ、空になっているのを発見し、弟子たちに告げます。
 3~10節は、ペトロと他の弟子たちが墓に行って、亜麻布を発見し、他の弟子たちは「見て、信じた」という話です。

この短い記事に「見る」という言葉が数回見られます。見る、この体の目で見る、心の目で見る、そして、クライマックスは最後の信仰の目で見ると構成されているようです。

いきいきと語られている復活体験の記事を読みながら、自分がその出来事の場にいあわせたらどのように振る舞うのか、弟子たちや人々の示した反応の中で、あなたの反応はどんなか、などの視点からこの時期を過ごしてみるのはいかがでしょうか。そして、そのことはあなたに何を語ってくれているのでしょうか。

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主の復活の8日間

古代教会では、復活祭は8日間続いて行われていました。復活徹夜祭に洗礼者が多かったからです。この8日間は「主の復活の8日間」と呼ばれ、主の祭日のように祝われます。

復活の8日間、福音では主の出現の記事が朗読されます。8日間、毎日違った固有の典礼があり、受洗した新しい信徒は、毎日ミサに参加することができました。8日間の最後の日が、受洗者として白衣を身につける最後の日でした。

復活節

復活の主日から聖霊降臨の主日にいたるまでの50日間は、復活節と呼ばれ、主日も復活節第1、2…主日と呼ばれています。
 この期間は、新しい信徒の実践的な教育のためにあてられていました。

復活節40日目には、主の昇天を祝います。主の昇天後から聖霊降臨の前日の土曜日までの週日は、聖霊を迎えるための準備をするときとなります。

復活節中、聖書朗読をとおして教会は、復活後に出現されたキリストを中心におきながら、主の復活を証(あかし)した弟子たちのいきいきとした姿と、その復活信仰の足跡をたどっていきます。

祈り

 全能の神よ、
  あなたは、きょう御ひとり子によって死を打ち砕き、
  永遠のいのちの門を開いてくださいました。
  主イエスの復活を記念し、
  この神秘にあずかるわたしたちを、
  あなたの霊によって新たにし、
  永遠のいのちに復活させてください。
   集会祈願より

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第1朗読 使徒言行録 10章34a、37~43節

そこで、ペトロは口を開きこう言った。
「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。

あなたがたはご存じでしょう。
ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後に、
ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です。

つまり、ナザレのイエスのことです。
神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。
イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、
悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、
それは、神が御一緒だったからです。

わたしたちは、イエスがユダヤ人の住む地方、
特にエルサレムでなさったことすべての証人です。
人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、

神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。

しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、
つまり、イエスが死者の中から復活した後、
御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。

そしてイエスは、御自分が生きている者と死んだ者との審判者として
神から定められた者であることを、民に宣べ伝え、
力強く証しするようにと、わたしたちにお命じになりました。

また預言者も皆、イエスについて、
この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、
と証ししています。」

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第2朗読 コロサイの信徒への手紙 3章1~4節

さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、
上にあるものを求めなさい。
そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。

上にあるものに心を留め、
地上のものに心を引かれないようにしなさい。

あなたがたは死んだのであって、
あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。

あなたがたの命であるキリストが現れるとき、
あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。

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福音朗読 ヨハネによる福音書 20章1節~9節

週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、
マグダラのマリアは墓に行った。
そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。

そこで、シモン・ペトロのところへ、
また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。 「主が墓から取り去られました。
どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」

そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。

二人は一緒に走ったが、
もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。

身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。
しかし、彼は中には入らなかった。
続いて、シモン・ペトロも着いた。
彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。

イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、
離れた所に丸めてあった。

それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。

イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、
二人はまだ理解していなかったのである。

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