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教会カレンダー

洗礼者聖ヨハネの誕生

第1朗読 イザヤ書 49章1~6節

第2朗読 使徒言行録 13章22~26節

福音朗読 ルカによる福音書 1章57~66、80節

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洗礼者ヨハネ、洗礼をさずける

イエスの誕生のちょうど6カ月前の今日、教会は洗礼者ヨハネの誕生を祝います。ルカによる福音書によれば、イエスと洗礼者聖ヨハネの誕生の記事が並列的に取り扱われています。洗礼者聖ヨハネはイエスの先駆者として位置づけられています。

今日教会は、天使によってザカリアに告げられた「あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ」との言葉、信仰の恵みの喜びを教会は願います。

ミサの叙唱の中で、「ヨハネはすでに母の胎内で救いの訪れを受け、その誕生は人びとに喜ばれました」と祈り、彼の生涯は「殉教によってその使命を全うした」と告げます。

洗礼者聖ヨハネはなによりもメシアであるイエスを指し示したために、最大の預言者、旧約最後の預言者と言われます。彼は光そのものであられるキリストをあかししました。彼の生涯は、誕生から殉教まで一貫してイエス・キリストを指し示しています。

救い主キリストを迎える準備をし、彼に人びとを引き渡した洗礼者聖ヨハネの誕生を祝い、彼の熱烈さと絶えずイエス・キリストを指し示した無私無欲な心を受け継ぎ、主への奉仕に自分自身をささげることができるように取り次ぎを求めましょう。

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第1朗読は、イザヤ書からです。今日読まれる箇所は「主のしもべ」第2の歌で、第2イザヤ書に属します。

主の取り次ぎ手となるのは王でしたが、それはだんだん神に仕える「主のしもべ」がその役割を果たすと考えられていきました。

主のしもべは、「遠い国々」、当時では全世界という意味ですが、そこまで主の証人となる使命が与えられています。この主のしもべは「母の胎」にあった時から、「わたしはあなたを国々の光とし、わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする」とあるようにこの使命に招かれています。

主のみが救い主であり、救いの与え主であるということは、第2イザヤの特徴になっています。

この朗読を読むように教会が差し出しているのは、洗礼者聖ヨハネの誕生にとてもふさわしいことだと思います。

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今日の第2朗読では、パウロがユダヤの人びとに行った最初の説教の一つである使徒言行録が読まれます。

パウロはこの説教の中で、ダビデまでのイスラエルの歴史を簡単に述べ、次にイエスの死と復活のメッセージを述べます。パウロはイエスの活動の前に洗礼者ヨハネが「イスラエルの民全体に悔い改めの洗礼を宣べ伝え」たこと、また彼自身の言葉を引用しながら洗礼者ヨハネの先駆者としての使命について語ります。

実に洗礼者ヨハネは、旧約と新約を結ぶ使命をおびていたのです。このヨハネは自分を無にしていつもイエスの姿を指し示したのです。
 ヨハネは言います。「わたしを何者だと思っているのか。わたしは、あなたたちが期待しているような者ではない。その方はわたしの後から来られ……」と。

この洗礼者ヨハネの姿勢を自らの中に抱きながら、祈る一日としてはいかがでしょうか。

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今日読むルカ福音書は、洗礼者ヨハネの誕生を喜ぶ人びとの姿、両親が「名はヨハネ」とした命名の記事が読まれます。この「ヨハネ」という名の意味は、「神が授けたもの」という意味です。

今日の誕生の記事は、旧約に出てくる預言者たちの誕生物語と同じ文学的ジャンルに入ります。

洗礼者ヨハネはアブラハムとサラの子の誕生と同じように老夫婦に授けられた約束の子です。この子に対して言われたことは預言者として特別に神からの恵みを受けたしるしでもあります。「この子には主の力が及んでいたのである」とあるとおりです。

ルカ福音書では、イエスの幼年時代の記事と洗礼者ヨハネとの記事が並列に書かれています。
これらを追っていくと、いくつかの発見があるでしょう。

●イエスと洗礼者ヨハネの出生の記事(ルカ福音書)
洗礼者ヨハネ 聖書の箇所 イエス 聖書の箇所
洗礼者ヨハネ誕生のお告げ 1.5~23 イエスの誕生のお告げ 1.26~38
エリザベトのみごもりと神への賛美 1.24~25 懐妊したマリアへのエリザベトの賛美 1.39~45.56
ヨハネの誕生、割礼、命名、成長 1.57~66
1.80
イエスの誕生、割礼、命名、成長 2.1~27
2.39~40

洗礼者ヨハネの誕生の記事を読んでいくと、老年、不妊、不信……などの人間的な現実を通して「主の手」が働いていたことがよく分かります。

今日の朗読で読まれない箇所68~79節ではザカリアの賛歌と呼ばれるザカリアの預言があります。この賛歌は『教会の祈り』の「朝の祈り」の中で「福音の歌」として「福音の朗読を聞くときと同じ荘厳さと品位をもって」祈られている賛歌です。今日は、特別にイエスの先駆者として誕生したヨハネの生涯を思いながら祈ってみてはいかがでしょうか。彼は今もキリストを指し示しています。

入祭唱で「神から遣わされた人がいた。その名はヨハネ。彼は光についてあかしするため、また、主の道を備えるために来た」と祈りますが、彼は実にそのものです。

祈り

 すべての人の救いを望まれる神よ、
  あなたは洗礼者ヨハネを遣わし、
  人々に救い主を迎える準備をさせてくださいました。
  あなたの民を信仰の喜びで満たし、
  救いと平和の道に導いてください。
   集会祈願より

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第1朗読 イザヤ書 49章1~6節

島々よ、わたしに聞け
遠い国々よ、耳を傾けよ。
主は母の胎にあるわたしを呼び
母の腹にあるわたしの名を呼ばれた。

わたしの口を鋭い剣として御手の陰に置き
わたしを尖らせた矢として矢筒の中に隠して
わたしに言われた
あなたはわたしの僕、イスラエル
あなたによってわたしの輝きは現れる、と。

わたしは思った
わたしはいたずらに骨折り
うつろに、空しく、力を使い果たした、と。
しかし、わたしを裁いてくださるのは主であり
働きに報いてくださるのもわたしの神である。

主の御目にわたしは重んじられている。わたしの神こそ、わたしの力。
今や、主は言われる。ヤコブを御もとに立ち帰らせ
イスラエルを集めるために
母の胎にあったわたしを
御自分の僕として形づくられた主は

こう言われる。わたしはあなたを僕として
ヤコブの諸部族を立ち上がらせ
イスラエルの残りの者を連れ帰らせる。
だがそれにもまして
わたしはあなたを国々の光とし
わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。

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第2朗読 使徒言行録 13章22~26節

それからまた、サウルを退けてダビデを王の位につけ、
彼について次のように宣言なさいました。
『わたしは、エッサイの子でわたしの心に適う者、ダビデを見いだした。
彼はわたしの思うところをすべて行う。』

神は約束に従って、
このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださったのです。

ヨハネは、イエスがおいでになる前に、
イスラエルの民全体に悔い改めの洗礼を宣べ伝えました。

その生涯を終えようとするとき、ヨハネはこう言いました。
『わたしを何者だと思っているのか。
わたしは、あなたたちが期待しているような者ではない。
その方はわたしの後から来られるが、わたしはその足の履物をお脱がせする値打ちもない。』

兄弟たち、アブラハムの子孫の方々、
ならびにあなたがたの中にいて神を畏れる人たち、
この救いの言葉はわたしたちに送られました。

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福音朗読 ルカによる福音書 1章57~66、80節

さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。
近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。

八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、
父の名を取ってザカリアと名付けようとした。
ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。

しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、
父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。
父親は字を書く板を出させて、
「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。
すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。

近所の人々は皆恐れを感じた。
そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。
聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。
この子には主の力が及んでいたのである。

幼子は身も心も健やかに育ち、
イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。

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