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教会カレンダー

A年 年間第18主日

第1朗読 イザヤ書 55章1~3節

第2朗読 ローマの信徒への手紙 8章35、37~39節

福音朗読 マタイによる福音書 14章13~21節

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今日のテーマは、神のいつくしみです。

イエスが「ひとり人里離れた所に退かれた」のを聞いた群衆は、方々の町から歩いて彼の後を追っていきました。この人びとのために、主は糧を与えます。

この業を イエスから引き起こしたのは、神がずっとイスラエルの民に抱き続けた愛そのもの、神のいつくしみでした。この愛が真に生きる力を与えるものであると、イエスは示されます。それは、何にもまして、「聞く」ことによって生きる信仰です。

パンの奇跡こそ、旧約から預言された祝宴の成就です。

今日は、朗読をとおしていろいろ違った視点から、神の愛、いつくしみを味わい、祈る一日としてはいかがでしょうか。

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今日読まれる第1朗読の箇所は、第2イザヤ書(40~55章)に属します。第2イザヤ書のテーマは、バビロンの捕囚からの解放の訪れと主のしもべです。今日のテーマは、第2イザヤの最終章からとられています。

神の愛の確かさ、慰め、約束と、それに信頼して生きることの豊かさが述べられています。

「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。」
 「耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。」

この主の招待を受ける日でありたいです。招待にはなにがおこるでしょうか。

「わたしはあなたたちととこしえの契約を結ぶ」。

この契約の実質は「平和」の契約であり、この契約はダビデのときのように、民族を武力で征服することではなく、主自らが治められることによってもたらされる真の平和です。このメッセージは、今の時代にも受け入れる価値のあるみ言葉、いや今こそ必要なみ言葉であるとは思われませんか。

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第2朗読は、ローマの信徒への手紙で、パウロが現在の苦しみの意味、救いの希望を語っている箇所が、ちょうどクレッシェンドの最後の高まりの部分にあたるところです。

「艱難(かんなん)か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か」と、パウロが使徒活動の中で、キリストのゆえに受けた苦しみの証言です。これらをとおして現された、神の愛を証しする言葉に耳を傾けてみましょう。

パウロの証言の叫び「……わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできない」に、私たちの内なる叫びを重ね合わせる宣言、キリストにおける神の愛をうつし出す祈りとしてはいかがでしょうか。

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今日読まれる「パンの増加」についての奇跡は、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4福音書すべてに記録されています。4つの福音書すべてに記録されている奇跡はこれだけです。

タイトル マタイ マルコ ルカ ヨハネ
五千人に食べ物を与える 14:13-21 6:32-44 9:10-17 6:1-15
四千人に食べ物を与える 15:32-39 8:1-10

マタイ、マルコでは、2回記述されています。この2つの記述は、状況設定、弟子や群衆の困惑ぶりも同じことから、1つの奇跡が ユダヤ伝承とヘレニズム伝承の2つをとおして、伝えられたと言われています。

4福音書すべてに記録されているということは、この出来事が、どれほど弟子たちの心に深く刻まれた出来事だったかということでしょう。

イエスは、このパンの奇跡を、「大勢の群衆を見て深く憐れまれ」行われたのです。

「深く憐れ」と訳された語は、ギリシア語では「スプランヒニゾマイ」と言われ、この表現の深い力強い意味を表しているということです。「スプランヒナ」は、からだの内蔵を指し、今日ならおそらくはらわたにあたる、ですから「はらわたする」、つまり、「はらわたが揺り動かされる」ということでしょう。

この揺り動かされた心で、イエスは病人をいやされたのです。

ギリシア人哲学者の説く神は「不変で無感動」であったのに対し、キリスト教は「はらわたする」、「はらわたが揺り動かされる」という表現を イエスに使用してはばからなかった。その思いは、私たちになにか強く語りかけてくるものがあります。

こうして、イエスは、すべての人に いのちをもたらす方として登場してくるのです。

今日の聖書の「天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった」という表現は、聖体祭儀(ミサ)の中心部分を思い起こさせてくれます。

4つの福音書すべてに記録された今日の奇跡の話を、ゆっくりと味わう一日としてはいかがですか。

「いのちあるすべてのものに、主は食物を恵まれる」とは、今日の答唱詩編答唱句の祈りです。

祈り

 飢え渇く者を恵みで満たされる神よ、
  豊かな愛をたたえて祈ります。
  わたしたちがあなたのことばに聞き従い、
  まことのいのちに生きるものとなりますように。
集会祈願より

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第1朗読 イザヤ書 55章1~3節

(主は言われる。)
渇きを覚えている者は皆、
   水のところに来るがよい。
銀を持たない者も来るがよい。
穀物を求めて、食べよ。
来て、銀を払うことなく穀物を求め
価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。
なぜ、糧にならぬもののために銀を量って払い
飢えを満たさぬもののために労するのか。
わたしに聞き従えば
良いものを食べることができる。
あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう。
耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。
聞き従って、魂に命を得よ。
わたしはあなたたちととこしえの契約を結ぶ。
ダビデに約束した真実の慈しみのゆえに。

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第2朗読 ローマの信徒への手紙 8章35、37~39節

 (皆さん、)だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。 艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。
 しかし、これらすべてのことにおいて、 わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。 わたしは確信しています。 死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、 高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、 わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、 わたしたちを引き離すことはできないのです。

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福音朗読 マタイによる福音書 14章13~21節

 イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、 ひとり人里離れた所に退かれた。 しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。 イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、 その中の病人をいやされた。 夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。 「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。 群衆を解散させてください。 そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」 イエスは言われた。 「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」 弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」 イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、 群衆には草の上に座るようにお命じになった。 そして、五つのパンと二匹の魚を取り、 天を仰いで賛美の祈りを唱え、 パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。 弟子たちはそのパンを群衆に与えた。 すべての人が食べて満腹した。 そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。 食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。

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