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第49回 信徒


今回は、神の民の中でも、カトリック教会を支えている信徒についてのお話です。


2.信徒

信徒とは、洗礼によってキリストに結ばれ、神の民に加えられた人々のことです。とは言っても、この中には、前回ご説明した司祭と修道者は含まれません。信徒としての独自の生き方で、キリストの祭司職、預言職、王職に参与するのです。その信徒独自の生き方とはどういうものなのでしょうか。教会は、普通それを、「信徒の召命」という言葉で表しています。


信徒の召命

信徒には、いわゆる聖職者がもっていない独自の使命をもっています。この使命を生きるように、信徒としての召命を受けているのです。その使命とは、この社会の中にあって、自分の置かれた場で、神の国を追求することです。そのために、それぞれの仕事に従事しながら、それらを神に秩序づけながら働くのです。社会的・政治的・経済的な分野において、キリスト教の教えと生き方を浸透させるために、信徒各自が、祈りながら、工夫して、自発性をもって置かれた場で働くことが信徒に求められているのです。と言うことは、個人としても、団体としても、信徒は受けた洗礼と堅信の秘跡によって、信徒使徒職を行うように主が望んでいらっしゃるということです。

神がいらっしゃること、神が私たち人間を救おうとなさっていることなどを、信徒はこの世界に知らせるように努める義務と権利を持っているのです。第2バチカン公会議後、特に、現代世界における信徒の使命と召命の重要さが、叫ばれるようになりました。信徒にしかイエス・キリストの福音が伝えられない場合、信徒の働きは非常に責任ある、重要な働きとなります。


キリストの祭司職への信徒の参与

信徒は、自分たちの生活のすべて--仕事、祈り、使徒敵活動、結婚生活、家庭生活、日々の労苦、心身の休養など--を、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる生きた供え物として神におささげしています。このことは、皆さまがご自分の1日、1週間を振り返ってみれば、すぐ納得できることでしょう。主日のミサの奉献の際、主のからだと共に、自分の生活のすべてをおささげすることによって、それがすべて神に喜ばれる霊的ないけにえとして、主に受け入れられるのです。ですから、社会的などんなつまらないつながりと思えることも、信徒のこのおささげによって、社会そのもの、この世そのものを主におささげしていることになるのです。


キリストの預言職への信徒の参与

キリストはすべての信徒に、信仰の心と言葉の恵みを注いでくださいました。それによって、キリストを証し、信仰に人々を導く預言職の務めを与えてくださっているのです。この預言者的な務めを、信徒は生活の証しとキリストをのべ伝えることによって、実践していくのです。キリストをのべ伝えるという福音宣教の務めは、ふつうの生活の中で行われるので、司祭が福音宣教するのとは違う宣教であり、それだからこそ、特別な力、効果を発揮するのです。


キリストの王職への信徒の参与

信徒は、司祭に協力し、教会共同体のために奉仕するように召されています。司祭の不足と高齢化に伴って、教会共同体の中で果たす信徒の役割は、ますます重要なものになっています。キリストは死に至るまで御父に従順されたことによって、キリストに従うすべての人々に、自分の中にある悪い傾きや罪に打ち勝つように恵みを与えてくださいました。信徒は、社会の第一線で働くことにより、経済、社会、文化的なすべてのことの中にある悪を改善していく務めを持っています。これも、キリストの王職への参与です。

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