home>キリスト教入門>カテキズムを読もう>第2編 キリスト教の神秘を祝う>第1部>第67回 いつ挙行するのか –(1)

カテキズムを読もう

バックナンバー

第67回 いつ挙行するのか –(1)


教会で典礼を「挙行するのは誰か」、そして「どのように」ということについてご一緒に学んできました。今回は、「いつ」という典礼の時についてです。


3. いつ挙行するのか

典礼の時

私たちは、毎年、「今年の復活祭はいつかしら」とか「灰の水曜日は、今年はいつ?」などと尋ねたりしたり、『カトリック教会情報ハンドブック』のその年の版を開いてみます。これは、教会が1年周期で、キリストの神秘全体を定め、私たちに主の復活を記念し、そのあがないのわざに参与させることによって、主イエス・キリストの救いの恵みに満たされるように配慮しているのです。

 今、私たちは復活節を過ごしていますが、典礼に参加していて心に響く言葉がいくつかあることと思います。その中に「今日」という言葉が入っているのではないでしょうか。
 「今日!」という言葉は、教会がキリストの神秘を祝う時、特別な意味合いを持たせて使っているのです。
 「今日!」という言葉は、復活して生きておられる神が、人間を招いておられる「今日」なのです。
 「今日!」という言葉は、人間のすべての歴史を貫いているイエス・キリストの過越の「時」を表しているのです。


主の日

私たちは、毎週日曜日に教会に行き、何の疑問もはさまずに、ミサに参加しています。よく考えてみると、これはすごいことです。キリストが復活された直後から、使徒たちは、そして初代教会の人々は、過越の神秘を8日目ごとに祝っていました。この日は「主の日」または「主日」と呼ばれました。今の私たちと同じです。

「主日には、私たち信者は、初代教会の信者たちがしていたのと同様に、それぞれの教会共同体の集まりに出席し、神のことばを聞き、「主の晩餐」を記念する聖体祭儀に参加します。こうして私たちは、イエス・キリストの復活を記念し、生きる希望へとよみがえらせてくださった神に感謝をささげるのです。


典礼暦年

私たちは、復活祭を迎えてまだ記憶が新しいのですが、復活祭の前に、聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日という聖なる過越の3日間を過ごしましたが、これを出発点として、典礼暦年全体が復活の光に照らし出されています。復活祭は、単なる祝日のひとつではなく、「祝日の中の祝日」、いちばん荘厳な祭儀の中でもいちばん荘厳な祭儀です。ですから、典礼暦年は、キリストの復活を中心に、1年間をとおして私たちがキリストの神秘を祝い、記念し、生きることができるように構成されているのです。


典礼暦年における聖人の祝日

教会に通い、ミサに参加していると、聖母マリアの祝日や○○聖人の記念日のミサがあることにお気づきのことでしょう。聖母マリアの祝日を祝うのは、聖母マリアが、キリストの救いのわざと密接に結びついている方であり、教会は、聖母のうちに行われたキリストのあがないの実りを賛美し、聖母を模範として見つめているからです。ですから、私たちすべての信者が、聖母マリアに倣い、主イエス・キリストの救いのわざに参加し、生きるように勧められているのです。聖人の祝日や記念日は、キリストと共に苦しみ、共に栄光にあずかっている彼らをとおして、私たちが聖人の功徳によって、神の恵みを願うためです。

前へ次へ

▲ページのトップへ