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第75回 だれが洗礼を受けることができるか

今日は、洗礼の秘跡を受ける人と授ける人について、ご一緒にかんがえてみたいと思います。


4 だれが洗礼を受けることができるか

洗礼を受けることのできる人は、まだ洗礼を受けていないすべての人です。


成人の洗礼

12使徒たちや聖パウロが活躍していた教会の初期には、成人洗礼が普通でした。 成人洗礼の場合、重要なのは、「求道期」(洗礼準備期)でした。洗礼志願者は、この期間、洗礼、堅信、聖体の秘跡を受けるための準備をすることになっていました。この準備期間の教育をとおして、志願者は、信仰とキリスト教生活の手ほどきを受けるのです。


 志願者は、救いの神秘について教えられ、イエス・キリストが教えてくださった福音的生活をするように導かれました。これは、断続的に行われる聖なる儀式によって、神の民の信仰と典礼と愛の生活へと入っていくように準備された期間でした。


幼児洗礼

人間は、原罪の結果を受けて生まれて来るので、生まれたばかりの幼児でさえも、救われるためには、罪から解放される必要があります。そのために、教会と信者である親たちは、生まれて間もない子どもに洗礼を授けるのです。教会は、その最初の時代から、幼児洗礼をおこなってきました。

幼児洗礼においては、洗礼の恵みがまったく無償の恵みであるということが、顕著です。信者である親たちは、幼児洗礼を授けるように、自分の子どものために配慮することは、神からゆだねられたいのちの養育者としての務めなのです。


信仰と洗礼

洗礼は信仰の秘跡です。信仰は、信仰共同体の存在を必要としているものです。成人洗礼の場合、洗礼を受ける際に信仰をもっていることを要求されますが、この信仰は初歩的信仰です。洗礼式において、受洗者、あるいは代父母は、「あなたは神の教会に何を求めますか」と尋ねられたとき、「信仰を求めます」と答えます。これは、洗礼後に、教会という信仰共同体の中で、信仰を育てていき、成長しなければならないということをはっきり表明したということなのです。

洗礼の恵みを開花させるためには、両親や、代父母の役割が重要です。代父母は、受洗者が信仰の旅路を歩んでいくのを助ける務めがあります。ですから、両親や代父母の果たさなければならない務めは、教会的な任務といえるものです。さらに、教会共同体は、洗礼を受けた人々の信仰を堅固なものにし、守り、助ける責任があるのです。


5 だれが洗礼を授けることができるか

洗礼を授ける人は、通常の場合は、司教か、司祭、助祭です。しかし、緊急の場合には、だれでも、自分はまだ洗礼を受けていない人であっても、洗礼を授けることができます。その場合、必要な意向をもって、教会の定める洗礼の言葉を唱える必要があります。必要な意向とは、「教会が洗礼を授けるときに行おうとしていることを、行いたい」ということです。

教会の定める洗礼の定句とは、三位一体の聖なる名を唱えるとき、水を頭部に注ぎながら、「○○さん、わたしは父と子と聖霊のみ名によってあなたに洗礼を授けます」という言葉を唱えるということです。なぜ、だれでも授けることができるのかということは、神はすべての人の救いを望んでおられ、救いのためには、洗礼は不可欠なものだからです。

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