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第82回 秘跡の呼称


第3項 エウカリスチアの秘跡


今回は、エウカリスチアの秘跡が、いかにいろいろな名前で呼ばれているかをご紹介したいと思います。


2 この秘跡の呼称

この聖体の秘跡ほど、多くの呼び名で呼ばれている秘跡はありません。それはこの秘跡が、無尽蔵ともいえる豊かさをもっているからです。そして、呼称の1つひとつは、聖体秘跡のそれぞれの面を浮き彫りにしています。

今、聖体秘跡の呼称をご紹介いたしましょう。皆さんも、すべてお聞きになっている言葉ばかりだと思います。


エウカリスチア---
 2004年10月にメキシコで開催された「世界聖体大会」から、2005年10月にバチカンで開催された第11回シノドス(世界代表司教会議)までの1年間を、「聖体の年」として記念しましたが、そのとき、よく使われた言葉の1つが「エウカリスチア」でした。皆さんも、何度もお聞きになったことではないでしょうか。


エウカリスチアは、「感謝の祭儀」という意味の言葉です。これは、ギリシア語の「感謝の祈りを唱える」という「エウカリステイン」という言葉と、同じくギリシア語の「賛美の祈りを唱える」という「エウロゲイン」という言葉と密接なつながりをもつ言葉です。この2つの言葉は、ユダヤ人が食事の間に、神のなさった創造のみわざと、あがないと聖化のみわざを宣言する賛美の祈りを思い起こさせるものです。


主の晩餐---
 このように呼ばれるのは、主キリストが受難の前夜、使徒たちとともになさった「最後の晩餐」を再現するものだからです。しかし、それだけの意味ではなく、私たちが、天のみ国で祝われる宴に前もってあずかることも示しています。このことを、使徒聖ヨハネは、黙示録の中で「小羊の婚宴」と呼んでいます。


パンを裂くこと---
 最後の晩餐の時、イエス・キリストは、食卓の主人としてパンを取り、祝福し、裂いて弟子たちに配られました。

復活の後、キリストに出会った弟子たちも、イエスのこのパンを裂く動作によって、「主だ」と分かったのでした。それで、初代教会の信者たちは、ミサを「パンを裂くこと」とか「パン裂き」と表現するようになりました。こうして、ただ1つのパンであるキリストを食べる人々は皆、キリストとの交わりに入り、キリストと結ばれた1つのからだを形作るようになったことを表現したのです。

エウカリスチアの集い---
 教会を目に見える形で表している信者の集いの中で、エウカリスチアが祝われるので、このように呼ばれるのです。キリストの受難と復活の記念祭に関連して、色々な言葉で表現されています。


聖なるいけにえ---
 救い主キリストの唯一のいけにえを現在化し、教会のすべての人のささげものを受け入れるものだからです。


ミサの聖なるいけにえ、賛美にいけにえ、霊的ないけにえ、清い聖なるささげもの--
 このように呼ばれることもあります。これは、旧約のあらゆるいけにえを完成し、それを凌駕しているものだからです。


神聖なる典礼、聖なる神秘の祝祭---
 これは、教会のすべての典礼の中心ということを意味しています。


いと聖なる秘跡---
 この言葉は、「秘跡の中の秘跡」という意味で使われています。特に、聖櫃(せいひつ)に納められている聖なるホスチアは、このように呼ばれます。


コムニオ(交わり)---
 この秘跡によって、私たちはキリストに一致し、キリストが私たちをご自分のからだと血にあずからせてくださるからです。聖体を拝領することによって、私たちは三位一体の愛の交わり(コムニオ)に入れていただくのです。


聖なるもの(タ・ハギア)---
 毎週日曜日に、私たちが心をあわせて唱えている「使徒信条」の中にある、「聖徒の交わり」という言葉のもともとの意味を示すものです。


天使のパン、天からのパン、不死の妙薬、旅路の糧---
 このように、いろいろな呼び名で呼ばれていますが、どの呼び名も、聖体の秘跡を聖なるもの、また私たちの人生を旅にたとえるならば、その旅を続ける上で、必要欠くべからざる糧であり、この糧によってキリストと一致し、永遠のいのちに導かれるということを表しています。


ミサ聖祭---
 この秘跡が「ミサ聖祭」と呼ばれるのは、私たちが、日常生活の中で神のお望みを果たすように派遣(ミッシオ)されることで、この典礼が終わるからです。

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