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第94回 キリスト者の生活に見られる悔い改めの多様な形

 
5 キリスト者の生活に見られる悔い改めの多様な形

キリスト者の内面的悔い改めは、非常に多様な形をとって表現されます。聖書によく出てくる言葉は、断食、祈り、施しで、自分の回心の情を表すということです。教父たちも、この3つについて、よく書き記しています。その他、罪のゆるしを得る手段として、隣人と和解する努力、隣人愛の実行などを挙げています。

エウカリスチアと悔い改め---
日常の回心と悔い改めの源泉は、エウカリスチアにあります。エウカリスチア(感謝の祭儀・ミサ)は、私たちを父なる神と和解させてくださったキリストの十字架上でのいけにえが現在化されるからです。

また、聖書を読むこと、「教会の祈り」を唱えること、「主の祈り」を唱えること、心からの祈りや信心業などを行うことは、私たちの回心と悔い改めの精神を新たにし、罪のゆるしへと私たちを導いてくれるものです。

日常生活の中で、悔い改めのもっとも確かな道は、日々の自分の十字架を担って、イエスに従うことです。また、兄弟姉妹と和解すること、貧しい人々への配慮、良心の究明、霊的指導などによって、回心できるように導かれます。

四旬節や聖金曜日は、典礼暦で悔い改めが求められている時や日です。この時期に、黙想会、回心式、巡礼、断食、施しなどの犠牲や助け合いの愛の行為などを行うことは、ふさわしいことで、勧められていることです。

回心と悔い改めの過程については、イエスがなさった有名な「放蕩息子」のたとえ話の中に見事に描写されています。ルカ福音書15章11節~24節をぜひご覧ください。

このたとえ話の中心は、「慈しみ深い父」です。放蕩に身を持ち崩し、生活にも、食べるものにも困ったとき、息子ははじめて我に返り、反省しました。そして、後悔し、父の家に帰る決心をし、家に戻るのです。

息子が帰ってきたことを喜び、父親は息子のために、服を着せ、指輪をはめてやり、祝宴を開きます。これは、教会という家族のもとに帰ってきた人間の、喜びに満ちた新しいいのちの象徴です。このたとえ話は、御父の愛の深さをご存じのキリストだけが、私たちに語ってくださることができるたとえ話です。

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