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第98回 ゆるしの秘跡の役務者

8 ゆるしの秘跡の役務者
 

ゆるしの秘跡を授けるのは、だれでしょうか。それは、司教と司祭たちに委ねられている大切な奉仕のひとつです。

キリストが、人々の罪をゆるし、神と教会と和解させる奉仕の務めを委ねられたのは、使徒たちに対してでした。ですから、その時から、使徒たち、またその後継者である司教と、その協力者である司祭が、この奉仕を続けているのです。司教と司祭たちは、叙階の秘跡の力によって、「父と子と聖霊のみ名によって」すべての罪をゆるす権能が与えられています。

教会で宣教・司牧の奉仕をしている司祭は、日頃から、信者に接する機会が、いちばん多い人と言えるでしょう。司祭は、信者がゆるしの秘跡を受けるように、勧め、励ますとともに、信者が「ゆるしの秘跡」を願うたびに、快くそれに応じなければなりません。

赦しの秘跡を授けるときの司祭は、福音書でイエスが話されたたとえ話にあるように、「迷った羊を探し出すよい牧者」「傷ついた旅人に傷の手当てをし、包帯を巻くよいサマリア人」「放蕩息子の帰りを待ちわび、帰ってくると歓迎する父」「えこひいきすることなく、公正であわれみ深い判決を下す裁判官」の務めを果たしているのです。つまり、ゆるしの秘跡を授ける司祭は、罪人をゆるし、そのふところに迎え入れてくださる神の愛、神の慈悲の「しるし」であり、「道具」なのです。

この秘跡を授ける司祭を「聴罪司祭」とも言いますが、この司祭は、神のゆるしを与える主人ではなく、しもべです。この司祭は、キリストの意向と愛に一致していなければなりません。また、キリスト教的生活についての確かな認識だけでなく、人間的な経験、罪を告白する人々への尊敬と思いやりをもっていなければなりません。

それだけではなく、この司祭は、悔い改める人を忍耐強く導き、キリストの憐れみに委ねながら、その人のために祈り、償いをしなければなりません。

1950年代に制作された映画に「私は告白する」というヒッチコックの作品がありましたが、告白を聴く司祭は、告げられた内容について、絶対の秘密を守らなければならないという義務があります。また、告白で得た情報を用いることも禁じられています。ですから、キリスト信者は、安心して、ゆるしの秘跡に近づけるのです。

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