home>キリスト教入門>カテキズムを読もう>第2編 キリスト教の神秘を祝う>第2部>第115回 主キリストにおける結婚

カテキズムを読もう

バックナンバー

第115回 主キリストにおける結婚


主キリストにおける結婚---

前回、旧約の神の民イスラエルに対し、神が律法を授け、契約を結ばれたことは、結婚という契約にたとえられているという説明をいたしました。この旧約の契約は、新しい神の民と結ばれる永遠の契約を準備するものでもありました。

神の御子は人となり、全人類の救いのために自らのいのちをささげることにより、全ての人と一致し、「小羊の婚礼」の準備をしてくださいました。

ヨハネ福音書に書かれているイエスがなさった最初のしるしは、カナでの結婚式で、水をぶどう酒に変えた奇跡でした。この結婚式にイエスが臨席なさり、結婚がよいものであるということを確認され、これ以降、結婚がキリストの現存の効果的なしるしとなることが宣言されたと、教会は「カナの婚宴」のしるしを読み取っています。

この最初の奇跡だけではなく、イエスは結婚の本来の意味をはっきりと教えられました。マタイ福音書19.6に、「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」と、男女の結婚による結合は、神ご自身が結び合わせてくださったものなので解消できないものなのだ、と教えておられます。

結婚の絆の不解消性についてイエスが話されたとき、弟子たちも実行不可能だと感じたようです。しかし、イエスは罪によって乱された創造の原初の秩序を回復するために、この世に来られました。ですからイエスは、神の国の新しい展望の中で結婚生活を生きるための力と恵みを与えてくださり、支えてくださるのです。

夫婦はキリストの後に従い、自分を捨て、自分の十字架を背負ってこそ、はじめて結婚の本来の意味を受け入れることができ、キリストに助けられながら、その教えに従って生活できるのです。キリスト者の結婚の恵みは、すべてのキリスト教的生活の源であるキリストの十字架の実りからくるものです。

聖パウロは、キリストが教えてくださった、この結婚の神聖さをエフェソの教会の信徒に次のように教えています。「夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のためにご自分をお与えになって、聖なるものとなさったように、妻を愛しなさい」(5.25~26)。さらに、次のように付け加えています。「『それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる』。この神秘は偉大です。わたしは、キリストと教会について述べているのです」と(5.31~32)。

キリスト教的生活全体に、キリストと教会との夫婦愛のしるしが刻まれています。キリスト者の結婚は、キリストと教会との契約の秘跡、その効果的なしるしです。キリスト者同士の結婚は、その意味で新約の真の秘跡です。

 

神の国のための独身---

初代教会の時代から、結婚を放棄した男女がいました。彼らは、主が行かれるところにはどこにでもついて行き、主のことに心を砕き、主に喜ばれることを求めるために、独身生活をするように、主から招かれた人々です。キリストこそ、このような生き方の模範でした。

結婚の秘跡も、神の国のための独身も、キリストご自身に由来するものです。キリストご自身が、この両方に意味を与え、必要な恵みを与えてくださるのです。さらに、神の国のための独身の価値と、結婚のキリスト教的意義は、切り離すことができず、互いが補い合うものです。

前へ 

▲ページのトップへ