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第127回 人格の尊厳


第1章  人格の尊厳

第1章は、全体として8項に分かれています。1~8項の中では、神の似姿として造られた人間が、どのようにして、神のお望みの愛の完成にまで至るかが述べられています。

 

第1項 神の似姿である人間

人間は、創造主によって、神にかたどり、その似姿として造られました。キリストは、この世にくだり、人間の姿を取られることにより、神が私たちを、どのような人間になるように招いておられるかを示してくださいました。原罪によってゆがめられた神の似姿は、あがない主であり、救い主であるキリストにおいて、その原初の美しさを取り戻し、神の恵みによって人間は高貴なものとされたのです。

神の似姿は、私たち一人ひとりの中に刻まれています。その似姿が輝きでるのは、私たち人間相互の交わりにおいてです。この人間相互の交わりは、神のうちにおける三位一体の愛による交わりのかたどりです。

人間は、不滅の霊的な魂をうけており、受胎の瞬間から、神の永遠の至福に向けられています。人間は、創造主である神が定められた秩序を、理性によって理解することができます。また、自分の意志で、自分を真の善に向かわせることができます。こうして、人間は、真と善を求めたり、愛したりしながら、自己を完成させていくのです。このように、人間には霊魂、知性、意志という精神能力が与えられており、同時に、神の像の優れたしるしである「自由」が与えられています。

人間は理性によって、「善を行い、悪を避けるように」という神の声を聞いています。これは、人の良心のうちに呼びかける神の声です。この神の掟は、神と隣人を愛することによって守ることができます。このような倫理的に正しい生活は、人間の尊厳を証明するものです。しかし、人間は、その創造の最初に誘惑に負け、原罪を犯してしまいました。この原罪の傷を負っているので、すべての人間は、悪に傾きやすく、誤りをおかしやすい存在となってしまいました。

こういう人間に対し、キリストは受難と復活をとおして、私たちを罪から解放し、聖霊による新しいいのちを勝ち取ってくださいました。そして、人間の内で罪によって損なわれたものを回復してくださったのです。

キリストを信じ、洗礼を受け、神の子どもとなった信者は、キリストの模範に従う者に変えられ、正しい行いをし、善を実践することができるようになります。救い主と結ばれた信者は、愛の完成である聖性に到達します。このように、恵みによって開花した倫理生活は、永遠のいのちとして実を結ぶのです。

最後に、要約が付けられています。ぜひ、ご覧ください。

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