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第159回 人間の連帯


3 人間の連帯

東日本大震災の時も、新潟中越地震の時も、阪神淡路大地震の折も、日本中から大勢の人々がボランティアとして被災地救援・支援のために活動してくださったその連帯のすばらしさは、まだ私たちの目に焼き付いています。

このような連帯原理は、「友愛」「社会愛」とも呼ばれるものです。この連帯原理は、人間的・キリスト教的兄弟愛から、直接に要求されるものです。

連帯は、どういうことによって表されるものでしょうか。まず、財の配分と労働の報酬によって表されます。 教皇ヨハネ・パウロ2世の時代の話ですが、まだ共産政権がポーランドを支配していた時、ワレサ氏が「連帯」を標榜し、この財の公正な配分と、労働の適正な報酬を求めて運動を始めたことは、まだよくご記憶のことでしょう。

連帯には、それだけではなく、社会の緊張をなくしていくことや、紛争が話し合いで解決されるような、公正な社会秩序をつくりあげるための努力も含まれています。

現代社会では、社会問題や経済問題は、さまざまな形の連帯などによってしか解決できません。どんな連帯が考えられるでしょうか。皆さんも考えてみてください。貧しい人同士の連帯、富んでいる人々と貧しい人々の連帯、労働者同士の連帯、雇用者と被雇用者との連帯、諸国間の連帯、諸民族間の連帯などがあげられると思います。

国際的な連帯は、倫理的秩序から求められるものです。さらに、世界平和についても、ある面では連帯に依存しているものだと言えるでしょう。

連帯の力は、物的善の範囲を超えるものです。教会は、信仰の霊的宝を広めながら、物的なものの発展にも貢献してきました。その上、しばしば、これに新しい道を開いてきました。

これは、キリストの次のことばが、どの時代のキリスト者によっても、生きられていることを証しするものです。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」(マタイ6.33)。

教皇ピオ12世は、バチカンラジオから次のようなメッセージをなさっています。 「二千年来、教会の魂の中で生き生きと受け継がれてきた人類の共同責任という考えがあります。これが人々を英雄的な愛に駆り立ててきましたし、今も……信仰・文化・科学の伝達者たちの心を駆り立てています。彼らはあらゆる時代、あらゆる国民の中で、人間として、また、キリスト者としてのふさわしい生活が可能で容易になるための社会条件を築いてきたのです」と。

最後に「要約」が付いています。ぜひ、ご覧ください。

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