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マサダ

マサダ

紀元前36年に、ヘロデ大王は、死海の近くにある岩山に、堅固な要塞を造りました。この要塞は、ヘロデ大王が初めに造ったというわけではなく、アレクサンドロス・ヤンナイオスの時代に築かれたと言われています。

ヘロデ大王は、「建築王」と異名をとるほどでしたが、このマサダ建造が、かれの最後の建造物となりました。

マサダは、ユダヤ砂漠の険しい岩山の頂上の台地にあり、堅固な離宮要塞となっていました。ここには、北大離宮、西離宮、中央の3つの離宮、居住棟、貯水槽、塔、池、管理棟、倉庫などが造られていました。敵の攻撃に備え、巨大な武器庫を持ち、畑からの食糧確保も考慮に入れていました。

このマサダの要塞の堅固さゆえに、ローマ軍がエルサレムを攻撃し、70年に陥落した後も、マサダにこもり抵抗運動に加わっている人びとは、2年間戦い続けたのでした。
 当時、要塞内には約960人の子どもを含む男女がいたと言われています。しかし、彼らは、工学能力の優れたローマ軍がマサダ岩盤の上に坂道を造り、強力な投石機で攻撃をしたため、自分たちの最後を悟り集団自殺をしたと、ヨセフスは伝えています。

その後、マサダは廃虚となり、放置されていましたが、5から6世紀にキリスト教修道士が住んだことがありました。

1960年代になり、イスラエルの考古学者がマサダの調査を開始し、その結果、ヘロデ大王の豪華な宮殿や、壁画、また、浴室跡などの発見とともに、ローマ軍と戦った人びとのことも次第にわかってきました。


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