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サンタクロースの起源

サンタクロース

サンタクロースは、4世紀ごろ、小アジア(現在のトルコ)のミュラの司教であった、聖ニコラスだと言われています。

聖ニコラス(271~343年ごろ)は、現在のトルコのデムレ、かつてのギリシアの町ミュラの司教でした。彼は、日ごろから、困っている人や貧しい人を助け、自分の持ち物を惜しまず与えていた心のやさしい人でした。

あるとき、ニコラスの近所に3人の娘のいる家族が住んでいました。たいへん貧しくて、娘を売らなければならないほど、お金に困っていました。そのことを知ったニコラスは、その夜、その家の煙突から金貨を投げ入れました。ちょうどその金貨は、暖炉のそばに干してあった靴下の中に入って、そのお金で娘は救われ、後に結婚することができたのです。聖ニコラスは、同じことを下の2人の娘のときも繰り返し、その家庭を救ったと言われています。

クリスマスに靴下を下げておくと、サンタクロースが煙突から入って贈り物を入れてくれるという習慣は、ここから生まれたようです。

ニコラスにまつわる伝説や奇跡は、この他にたくさん残ってます。船乗りを嵐から救ったり、殺された子どもを生き返らせたという話も伝えられています。彼は、つねに子どもたちや貧しい人、弱い立場にある人と共に生きていたので、「子どもの守護の聖人」とされています。


プレゼント

彼は亡くなった後、聖人とされ、ヨーロッパでは彼の命日の12月6日に、聖ニコラス祭がはじまりました。この日、オランダやベルギーなどでは、子どもたちへのプレゼントを贈るようになりました。

聖ニコラスの伝説は、18世紀に北米に移住したオランダ人に伝えられ、子どもたちへのプレゼントの習慣が、オランダと同じ12月6日に引き継がれていきました。やがて、生まれたばかりのキリストに三賢者が贈り物をもって、ベトレヘムを訪れたという出来事と結びつき、アメリカ全土で「クリスマスにサンタクロースがプレゼントを贈る」という習慣が広がったと言われています。

聖ニコラスはオランダ語で、「ジンタークラース」と言い、それがなまって「サンタクロース」になったと言われています。


サンタクロースの着ている赤い服は、聖ニコラスが生きたころの、司教の儀式のときの服がもとになったと言われています。司教の赤い色は、自分の命をかけても、他の人を助けることを意味していて、血を流しても人々のために尽くすしるしでした。

しかし、今のサンタクロースの赤い衣装を考え出し有名にしたのは、1931年、アメリカのコカ・コーラ社が冬のキャンペーン広告のキャラクターとして、サンタクロースを起用したことから、サンタクロースの名前が急に、世界中に知られるようになりました

この広告のモデルは、1800年代後半に活躍した、アメリカの風刺漫画家トマス・ナスト(1842年~1902年)によって描かれたサンタクロースです。子どもたちのために、たくさんのおもちゃをかかえた、やさしそうなサンタクロース。白いふさふさしたひげをはやし、太った体形というアイデアは、彼によって生み出されました。

それまでの絵本や絵画の中に、サンタクロースは青い服を着たり、さまざまな色の衣装を着ていたそうです。今とはずいぶんイメージが違います。


日本では、いつごろサンタクロースが登場したのでしょうか。それは、1870年代です。日本でサンタクロースは、キャラクターとして、商業ペースに利用され、コマーシャル化され、歯磨き粉や醤油の広告などにも使われることになってしまいました。

商品の絵柄の広告には、恵比寿や大黒天、七福神のサンタクロースも表れ、親しまれたと伝えられています。

その後、だんだんと都会の中流家庭に広がって、おもちゃをもってやってくるサンタクロースとして描かれるようになりました。1951年ごろからは、デパートが一斉にサンタクロースを採用し、街はサンタクロースであふれるようになりました。

呼び方も、「サンタ」とか「サンタさん」などと親しみを込めて、呼ばれるようになり、サンタクロースは、すっかり日本の文化の中で、クリスマスにはなくてはならない存在となっていきました。


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