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十字架(Cross)

キリスト教の教会を訪れると、聖堂(チャペル)の正面に十字架があります。その十字架には、いたましく、目をそむけたくなるようなイエス・キリストがはりつけにされている姿のあるもの、イエス像はなく十字架だけが掲げられているものがあります。また、十字架はペンダントとして、キリスト者だけでなく多くの人に使用されています。


東京カテドラル聖マリア大聖堂(東京)


碑文谷教会(東京)


聖パウロ女子修道会
聖堂(東京)


六本木チャペルセンター(東京)


フランシスコ会聖ヨゼフ修道院
聖堂(東京)

十字架の形状は、いろいろな型があります。下記の十字架をご覧ください。一般的には、†のように、軸の木が横木より伸びているラテン十字が用いられています。

十字架のシンボルイラスト
十字架のシンボルイラスト

A) ラテン十字 (B) ギリシャ十字 (C) タウ型(T型)十字 (D) アンドレア(X型)十字 (E)エルサレム十字 (F) 教皇十字 (G) 族長十字 (H) ロシア十字 (I) マンジ (J) マルタ十字

なぜ十字架がキリスト教のシンボルとなったのか

刑罰としての十字架刑は、イエスが生きていた当時、ローマ人が他民族を処刑するために用いた、最も残酷で侮辱的な極刑でした。しかし、刑としての十字架がはりつけ刑の刑具の枠組みを超えて、キリスト者のアイデンティティーのよりどころとして、崇敬の対象となったのです。

イエス・キリストがはりつけとなった目をそむけたくなるような十字架上での姿は、人生の中で悩み苦しむとき、極限と思えるような中にあって、力となるのです。「キリストの苦しむ姿が自分の苦しみと重なり、乗り越えることができた」「十字架のキリスト像が、苦しんでいるときの力になった」ということは、時代や、国境を越えて多くの人々から証言されています。

このことには、イエス・キリストの生き様があります。
  イエス・キリストは、死を覚悟して最後のエルサレムに向かい、そこでユダヤ人たちによって捕らえられ、ローマ軍に引き渡され、十字架につけられて死にました。それは、わたしたち人間の犯す罪をあがなうためでした。

十字架の処刑は、恥辱を意味するものでしたが、イエス・キリストのこの十字架は、あがないのための十字架として、キリスト者にとって人類に救いの希望を示すしるしの一つとなっています。

イエス・キリストがどのようにして十字架につけられたか、どのように死を迎えたのかというキリストの受難・死去・復活の記述は、共観福音書で伝えていますので、比較して読んでみると各福音記者たちの意図が理解できます。

福音書に見るキリストの受難と復活

使徒パウロは「神の力、神の知恵であるキリスト」(1コリ1.18~31参照)についてこう言っています。

「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」(1コリ1.18)

キリストの十字架によって救いが全世界にもたらされたことを記念する十字架は、キリストの死の勝利の象徴として、またキリスト自身の象徴として、中世ではあがないの意味合いを強めたかたちで表現されました。実にさまざまな十字架があり、芸術としても評価されています。

十字架礼拝

教会の典礼暦においては、十字架礼拝を聖金曜日に行っています。この日、十字架上で行われた購いの神秘(イエス・キリストが多くの人のあがないとして自分の命をささげたこと)を、十字架を仰ぎ見ながら、深く祈り、味わいます。

この日、教会では、十字架の礼拝の中で、「主の十字架をあがめ、とうとみ、その復活をたたえよう。見よ、この木によって、あまねく世界に喜びが来た。……」と十字架賛歌をうたい、十字架の行列をします。

また、9月14日の「十字架称賛の祝日」には、「キリストの十字架発見」を記念します。

キリストの受難をテーマにした「十字架の道行」は、多くのキリスト者に愛好され、今も四旬節には個人だけではなく、教会共同体としてともに「十字架の道行」を行っています。


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