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かくれキリシタン(隠れキリシタン)(潜伏キリシタン)

「かくれキリシタン(隠れキリシタン)」とも「潜伏キリシタン」とも呼んでいます。

1614年、江戸幕府は「排吉利支丹文」を全国に出し、全面的にキリスト教を禁令にしました。
 この時から、キリシタンたちは潜伏生活に入ったのですが、まだ地域差がありました。キリシタンの取り締まりが厳しくなったのは、1638年、幕府が宗門改役を設け、禁教政策を強化してからでした。

1644年、最後の司祭と言われる小西マンショ神父が殉教して後、キリシタンたちは、司祭不在の中で、表面上は仏教徒として、檀家制度の中に組み込まれ、幕末までの約230年間、キリスト教の信仰を守り、伝えていった信徒を「かくれキリシタン(隠れキリシタン)」とか「潜伏キリシタン」と呼んでいます。

1865年、長崎の大浦天主堂において、プチジャン神父に自分たちがキリシタンの末裔であることを表明し、以後、九州各地に潜んでいた「かくれキリシタン」たちが、カトリック教会のもとにかえってきました。これを、「キリシタンの復活」とか、「復活キリシタン」と呼んでいます。

復活したキリシタンとは別に、今もカトリック教会に復帰しない人びとのことは「カクレキリシタン」と区別して表記しています。


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