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セミナリオ

キリシタン時代の用語の一つで、イエズス会が司祭や修道者の養成のために設置された「中等宗教教育機関」を指しています。

この訳語については、「小神学校」「予備教育機関」「宗教教育施設」などと訳されていることがあります。

1579年に来日した、イエズス会のアレッサンドロ・ヴァリニャーノ神父が、1580年、近江の安土と肥前の有馬に設置しました。

セミナリオでは、東西文化の調和をこころざし、ラテン語やキリスト教の教義の勉強のほか、日本語、日本古典文学、音楽や美術の教育もほどこされました。

後に殉教し、聖人の位に挙げられた聖パウロ三木は、安土のセミナリオの最初の生徒の1人でした。有馬のセミナリオ出身者としては、日本人で最初に司祭になり、長崎で殉教した木村セバスティアンがいます。

天正時代に4人の少年使節がローマへ旅立ちましたが、この少年たちは、有馬のセミナリオで勉強していた人びとでした。

安土セミナリオは、豊臣秀吉の禁教令により、京都、高槻、大阪を転々としましたが、1588年、有馬セミナリオと合併し、一つとなりました。
 しかし、迫害の激しさはまし、八良尾、加津佐、有馬、長崎などに場所を移動しながらも養成を続けていたのですが、1613年、江戸幕府による禁教令、1614年の伴天連追放令により閉鎖を余儀なくされました。


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