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馬小屋(プレゼピオ)

馬小屋(プレゼピオ)

そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。
これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。

人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。
ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、
ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。

ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、
初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。
宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
              (ルカ 2章1~7節)

イエスが誕生されたころ、イスラエルは、ローマの支配下にありました。

ルカ福音書によると、ローマ皇帝アウグストゥスは、徴税のためにイスラエルすべての人々に、住民登録を命じました。そのため、マリアと、ヨセフも住民登録のために、ガリラヤの町ナザレから、ヨセフの故郷であるベツレヘムに向かいました。2人は、どこの宿屋も満員だったため、馬小屋として使われている洞窟に泊まりました。そこでイエスが、お生まれになり、マリアは、イエスを布にくるんで飼い葉桶に寝かせました。

馬小屋におけるイエスの誕生は、小さく貧しい者として生まれたイエスをよく表しています。

クリスマスが近づくと、この馬小屋でのイエスの誕生の場面をかたどった人形が、教会や、信徒の家庭に飾られます。

このクリスマスの飾りは、イタリア語で「プレゼピオ」と言います。この馬小屋をはじめて作ったのは、イタリアの聖人、アシジの聖フランシスコだと言われています。

聖フランシスコは、1223年グレッチオで、イエスの降誕の馬小屋を飾って、村人と共にクリスマスを祝いました。グレッチオには、岩山の上に修道院があり、洞窟に突き出した岩に、馬小屋を再現した壁画と祭壇が残っています。

今では、クリスマスになると、馬小屋を飾り、私たちの救いのために、貧しい馬小屋で、小さな赤ん坊としてお生まれになってくださったイエスのことを思い起こします。


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