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 こころの湯

2001年7月

SHOWER

こころの湯

  • 監督:チャン・ヤン
  • 出演:チュウ・シュイ、プー・ツンシン、ジャン・ウー

1999年、中国映画、92分

  • 1999年トロント国際映画祭国際批評家連盟賞受賞
  • 1999年テサロニキ映画祭グランプリ(Golden Alexander)、観客賞受賞
  • 1999年サンセバスチャン国際映画祭監督賞、OCIC賞受賞
  • 2000年ロッテルダム国際映画祭観客賞受賞2001年
  • 2000年ブエノスアイレス国際映画祭撮影賞受賞
  • 2000年ファー・イースト映画祭観客賞受賞

先日、2008年の夏期オリンピック開催地に北京が決まりましたね。中国の人々の大きな喜びが、印象的でした。北京では、世界中からやってくる選手や観光客を受け入れるために、競技場や宿泊施設、交通機関など、ますます開発が行われていくことでしょう。オリンピックに表れているように、ここ10年、中国は大きく変化しています。「こころの湯」は、高層アパートなど都市化の開発が進んでいるかわりに失われてきている古い町並み、人情など、庶民のよき時代を記録しておきたいとの、チャン・ヤン監督の思いがこめられた作品です。笑いあり、涙ありの心あたたまるドラマです。

NHKドラマ「大地の子」で日本人にすっかりおなじみになった名優、チュウ・シュイ演じる父親が、行方不明になった次男のアミンを探しながら、都会に出ていった長男に向かって怒る場面があります。「お前には頼まん、とっとと帰るがいい。お前がいなくとも暮らせるんだ。お前を失ってもアミンまで失えるか!」と言う姿は、自分の両親とダブってしまい、親が子を思う心にウルウルとしてしまいました。

都会に出ていった長男は、プー・ツンシンです。彼は、1991年製作のシエ・チン(謝普)監督の「乳泉村の子」で、中国残留孤児として辛い少年時代を送り、僧侶となって日本を訪れる明鏡法師を演じました。知的障害者でありながら、純粋な子どもの心を持っている明るい次男とは対照的に、いい暮らしを求めて都会へ出て行って近代的な生活をしていても、何か満たされないでいる、ちょっと暗い兄の役です。

かつて、向田邦子脚本のテレビドラマ「時間ですよ」が評判でしたよね。銭湯は、近隣の人々とのつながりの場として大切な空間でしたが、経済成長や都市開発とともに数が減り、その良さがなくなってきています。中国の銭湯も、日本と同じように大切な交流の場となっています。いえ、日本よりもっと重要なのかもしれません。日本の場合は入浴だけの銭湯ですが、中国の銭湯はヘルスセンター的で、入ると畳1枚分くらいのベンチが与えられ、入浴の後はマッサージをしてもらったり、髭をそってもらったり、碁を打ったりと、くつろいで過ごす場となっています。場面は男湯だけでしたが、女湯がどうなっているか興味のあるところです。

物語

映画は、超近代的な大都市の空間にある、電話ボックスが数個つながっているような「シャワー・ステーション」から始まります。ガソリンスタンドにある洗車のマシンのように、人間は立って腕を広げているだけ、両側と上から大きな回転ブラシが出てきて、自動的に身体を洗ってくれるというものです。監督は、「シャワー・ステーション」を冒頭に持ってくることで、近代化、機械化を嘲笑しているのかのようです。

北京の下町の銭湯「清水池」には、いつもと変わらず、常連がゆったりと湯につかっています。シャワーを浴びながら大声で「オー・ソレ・ミヨ」を歌う青年、垢擦りや吸い玉治療、マッサージを気持ちよさそうに受けている人、コオロギを戦わせて遊ぶ老人、清水池の主人リュウ(チュウ・シュイ)や従業員たち、次男のアミン(ジャン・ウー)は、お客たちがくつろげるようサービスに精を出していました。

そこへ、暗い顔をした長男のターミン (プー・ツンシン)が重い荷物を持って入ってきます。弟から送られてきたハガキに描かれている絵を見て、もしかしたら父が寝込んでいるのではないかと心配になり、帰省したのでした。しかし、父が元気であると知って安心したターミンは、2、3日で帰ると妻に電話します。

翌日、ターミンはアミンを連れて飛行機のチケットを買いに街に出かけました。しかし、ちょっと目を離したすきに、アミンがいなくなってしまいます。アミンは夜になっても帰ってこず、心配になったリュウはアミンを探しに出かけます。追いかけてきたターミンに、自分の仕事を見下してもいい、しかし、お客さんの喜ぶ顔を見れば満足なんだと、今までのわだかまりの気持ちをぶつけます。翌朝、アミンがりんごをかじりながら、埃まみれになって帰ってきました。アミンの笑顔で、またいつもと同じように銭湯の一日が始まります。

その夜、豪雨となり、夜中に屋根の天窓を補強するリュウを見たターミンは、屋根に上って一緒に手伝います。屋根の上で、日の出を一緒に迎えたリュウとターミン。父との距離は少し近づきました。しかし、リュウが風邪を引いて寝込んでしまい、ターミンは父に代わって清水池を手伝うことにしました。お客たちに接するうちに、ターミンは次第に父の仕事を理解するようになっていきます。

そんな中、この地域の再開発が決まり、清水池も取り壊されることになりました。しかし、リュウは、親子3人で働くのが楽しく、泰然と構えています。

一日の仕事を終えた後で一緒に風呂に入るのが、3人の楽しみとなりました。充実した毎日を送るターミンは、帰りを一日延ばしにしています。

その夜も、いつものように3人で湯に浸かっていると、ターミンの携帯電話が鳴りました。ターミンが妻との電話を終え、リュウの背中を流そうと風呂場に戻ってきてリュウを呼びます。「父さん、背中を流そう」「父さん……」しかし、リュウは湯に浸かって目をつむったまま、動きませんでした。

 

銭湯の一日を中心に展開する父子の話の中に、年に一度しか雨が降らない中国内陸の村での嫁入り前夜の入浴の話や、巡礼のようにして湖に入浴にでかける山岳民族の話をおりまぜながら、入浴が単に体の汚れを落とし疲れを癒すだけでなく、魂の浄化の場でもあると教えてくれます。

人情にあふれる親父、リュウがやっている清水池は、北京の庶民の生活を描いた集大成ともいえる世界でしょう。近代化の中で忘れていた心、それが清水池にはありました。

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