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 神の子たち

2001年11月

God's Children

神の子たち

  • 監督:四ノ宮浩
  • 撮影監督:瓜生敏彦
  • 音楽監督:加藤登紀子

2001年 日本映画 105分

  • 文部科学省選定作品
  • 東京都知事推奨
  • カトリック中央協議会広報部推薦作品
  • 優秀映画鑑賞会推薦作品
  • 日本映画ペンクラブ推薦作品
  • 日本PTA全国協議会推薦作品

フィリピン、ケソン市のパヤタスゴミ捨て場で生活する子どもたちとその家族を追ったドキュメンタリー映画で、マニラのスモーキーマウンテンを舞台にして撮影した一作目の続編です。

マニラ市北にあるゴミ捨て場“スモーキー・マウンテン”は、1995年、フィリピン政府によって強制撤去されました。ゴミ拾いによって生計を立てていた人々は、生活の糧を失い、一部の人々は、マニラ市のとなりのケソン市パヤタスゴミ捨て場に移ってきました。ここは、第2の“スモーキー・マウンテン”と呼ばれています。パヤタスゴミ捨て場には、3500世帯が住んでいます。

2000年7月、2作目の映画撮影が始まったとき、思いがけない事件が起きました。1週間、雨が降り続きました。雨が止んで、ようやく撮影ができると思ったとき、大規模なゴミの山の崩壊事故が起きたのです。ゴミをかき分けて、ゴミの下敷きになった人々の救助が続きました。真っ黒になって、助け出される人々。しかし、500世帯、1000人の人々が犠牲となりました。いえ、それ以上かもしれません。戸籍登録していないので、正確な数がわからないのです。当局と住民たちの、遺体を探す生々しい映像が続きます。

この事件から5日後、フィリピン政府は再発を恐れてゴミ捨て場を閉鎖しました。ゴミトラックの搬入が中止になり、人々は生活に困るようになります。カメラは、3つの家族を追います。

 

妊娠しているノーラ一家。彼女は、夫と6歳の娘と暮らしていますが、ゴミが拾えなくなり、ご飯と塩で夕食を取っています。ノーラは予定より早く産気づきました。しかし、なかなか生まれません。破水してしまい、病院に行くことになりました。子どもは未熟児で生まれたため、肺から出血し、生後6日後に血を吐いて亡くなりました。早産の場合、肺がしっかり発達していない状態で生まれるので、このような悲しい結果になります。小さな棺桶に入れ、墓に葬ります。ノーラは涙が止まりません。夫婦の間は気まずくなります。

12歳のニーニャは、両親と4人の兄弟と暮らしています。いつものように、左右バラバラの長靴をはき、ゴミ拾いのための特別の引っかけ棒を持って、ゴミ捨て場にやってきました。しかし、ゴミが来なくなったので、お金になるゴミは拾えませんでした。お金がないので魚や肉は口できず、次第に食べ物がなくなってきます。ニーニャはゴミの山の斜面に植えた芋を掘って食事にしました。芋の葉を植えて、さらに収穫を増やそうとします。

5歳のアレックスは、生まれたときは普通でしたが、次第に頭が大きくなり、今は水痘症で寝たきりの生活です。水痘症の子は、長く生きることができません。アレックス一家も食べるものがなくなり、近所の家からお米を分けてもらう状態です。ある日アレックスは母親にねだります。「ラーメンが食べたい」。母は不自由な子の願いをかなえるために、ラーメンを探します。家族に食べるものがないにもかかわらず、母親は彼のためにラーメンを作り枕もとに置きます。アレックスは寝たままフォークを上手に使い、おいしぞうにラーメンを平らげます。満足した顔。

ノーラたちゴミ捨て場の住民たちは、フィリピン議会でデモを行いました。しかし、ゴミトラックは来ません。生活は、どんどん厳しくなっています。

4ヶ月後のある日、ゴミ捨て場にゴミが戻ってきました。引っかき棒と大きなビニール袋を手に、大人も子どももゴミ捨て場に向かいます。トラックの荷台から落ちてくるゴミを、待ち切れません。再び、ゴミ捨て場に活気が戻ってきました。ニーニャやノーラの顔にも、ほほえみが戻ってきます。

私たちの捨てるゴミを生活の糧として生きている人々。ゴミがないと生きていけない人々。しかし、この豊かすぎる生活を変えることができません。なんともいえない気まずさを感じます。

極限の貧しさの中にありながら、ニーニャもアレックスも、すばらしい言葉を語ります。ニーニャは言います。「泥棒するくらいだったら、飢え死にする方がまし」貧しくても、心はすさんでいません。彼女は尊厳をもって生きています。アレックスは5歳というのに、まるで知恵者のように語ります。彼は、最低の生活条件で、さらに自分では動くことができないという最悪の生存条件の中で、本当のこと、真理を見抜いているようです。 人生を深く味わった者しか語れないような雰囲気を持っています。 また、 アレックスの母親は、アレックスに対して、障害者だから、または、もう命がないのだから……と、軽んじることはありません。大切な人に仕えるように面倒を見ます。余命が短いにもかかわらず、短いからこそ、アレックスを大切に育てます。

ニーニャもアレックスも、外的には満たされていませんが、すばらしい心を持っているのです。貧しさの中でも、明るく、たくましく生きる子どもたち。……なぜ、そのようにできるのか? 彼らは誇り高く生きる、神の子なのです。

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