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 おばあちゃんの家

2003年5月

The Way Home

おばあちゃんの家

  • 監督・脚本:イ・ジョンヒャン
  • 出演:キム・ウルブン、ユ・スンホ
  • 音楽:野澤孝智

22002年 韓国映画 2時間27分

  • 2002年大鐘賞最優秀作品賞、最優秀脚本賞、最優秀企画賞受賞
  • 厚生労働省社会保障審議会推薦 児童福祉文化財(小学校高学年以上)
  • 文部科学省選定(青年向、成人向)
  • 青少年映画審議会推薦

  • 岩波ホール創立35周年記念作品

韓国の若い女性監督イ・ジョンヒャンの2作目の作品で、韓国で話題となった作品です。このところ韓国映画が日本でも元気ですが、「シュリ」「JFA」「友へ チング」などと並んで、日本でも大切に残っていく韓国映画になると思います。岩波ホール創立35周年記念作品で、連日、会場は混雑しています。

人間としてだれの心にもスーと入る、温かい作品です。イ・ジョンヒャン監督の写真を見ると、大勢のスタッフを動かしていく力がどこにあるのだろうと思うほど、小柄でかわいらしい女性です。「亡くなったおばあちゃんの深い愛情に感謝する映画をどっと撮りたかった」と語っています。

物語

母親と二人でソウルで暮らしていた7歳のサンウ(ユ・スンホ)は、母親が新しい仕事を見つけるまでと、田舎に一人で住むおばあちゃんの家に預けられることになりました。腰が曲がり、ゆっくりとしか歩けないおばあちゃん(キム・ウルブン)は、話すことができません。字も知りません。かや葺きの家は、今にも倒れそうに古い家です。虫は出てくるし、トイレが外にあるため、夜はオマルで用を足し、水も桶をかついで汲みにいかなくてはならないという不便な生活です。

都会でわがまま放題に生活してきたサンウにとって、田舎は暮らしていけるようなところではありませんでした。言葉のできないおばあちゃんに向かって、サンウは「バカ!」とさげすみます。おばあちゃんがおかずをあげようとしても、サンウは都会からもってきた缶詰を食べ続けます。

たいくつなサンウは、ねころんでゲームをする毎日。しかし、とうとう電池が切れて、ゲームができなくなりました。サンウは、泣いて電池を買うお金をおばあちゃんにせがみますが、物々交換で暮らしているおばあちゃんには、現金がありません。サンウは、昼寝をしているおばあちゃんの頭から、髪留めを盗み、それを現金に換えようと山道をくだります。やっと見つけたお店には、ゲーム用の特殊な電池はありませんでした。髪飾りがなくなったおばあちゃんは、使い古したスプーンで髪を留めました。

村には、おばあちゃんに親切にしてくれる男の子がいました。サンウには、おばあちゃんの言いたいことが理解できませんが、働き者の男の子は、なぜかおばあちゃんの言いたいことがわかるのでした。

持ってきた缶詰がなくなり、食べるものがなくなったサンウに、おばあちゃんは何が食べたいか尋ねます。「ピザ、ケンタッキーチキン」サンウのジェスチャーでチキンとわかったおばあちゃんは、雨の中、野菜を売って生きた鶏を持ち帰ります。丸ごとゆでたチキンがサンウの目の前に出てきました。「違う、違う。これはケンタッキーチキンじゃない。ケンタッキーチキンが食べたいんだ、ケンタッキーチキン!」とだだをこね、サンウは食べようとしません。しかし、サンウは、夜中にお腹がすいてこっそりと食べるのでした。

翌日、おばあちゃんが起きてきません。雨の中を歩いたので熱を出したようです。そこでサンウは、なれない手つきでおばあちゃんに食事を出し、毛布をかけて世話をします。

ある日、サンウは憧れている女の子の家に遊びにいきました。うれしくて有頂天になったサンウは、帰り道、調子に乗って坂道を転げ落ちてしまいます。一歩一歩、痛い足をひきずって泣きながら山道を帰るサンウ。おばあちゃんは、道に出て心配そうに待っていました。サンウはおばあちゃんの胸の中に飛び込みました。おばあちゃんは、傷をいたわりながら、一通の手紙をサンウに渡しました。

サンウはソウルに帰ることになりました。サンウは、字の書けないおばあちゃんに一生懸命にハングルを教えます。「体がいたくなったら……、さみしくなったら……、こう書くんだよ。すぐ飛んでくるからね」サンウは何度もこう言いながら、おばあちゃんと抱き合うのでした。

迎えに来た母親と一緒にバスに乗ったサンウ。おばあちゃんに手渡したおもちゃの絵のカードの裏には、「体が痛い」「会いたい」とハングルで書かれていました。

 

ちょっと悲しそうに見えるおだやかなおばあちゃんの表情は、いつもかわりません。勝手に家を飛び出し、生活に困ると、突然子どもを押しつけていく娘に、怒りをぶつけたいとは思わないのでしょうか? 小生意気なサンウの頭を、コチンと叩きたくはないのでしょうか? このおばあちゃんは、けっして叱ることがありません。

おばあちゃんにとって、サンウは異星人のような存在でしょう。サンウの食べ物も、遊び道具も、未知のものばかり。わがままし放題。おまけに生意気。しかし、おばあちゃんは、そんなことに心乱されることはありません。突然のできごとに振り回されることなく、今までもそうしてきたように、毎日の自分の暮らしを淡々と続け、突然の出来事は、その日常の中に取り込まれていきます。

おばあちゃんの姿に、生きてきた年月の長さを感じました。そのように生きることができたら、なんとすばらしいことでしょう。おばあちゃんの生き方を味わいながら、一人の女性としての生き方、一人の人間としての生き方を深めたいと思いました。

このおばあちゃんは、撮影した村に住むおばあちゃんで、まったくの素人さんだそうです。この味は、役者さんだとウソっぽくなってしまうのでしょうか。実に、味のあるおばあちゃんでした。

そして、おばあちゃんの心を知ることができたサンウも温かい心の持ち主でした。祖父母と暮らすということは、人間の中にある思いやりの心を引き出してもらうということなのでしょうか。だとすれば、祖父母と暮らすことがなくなった現代社会は、ちょっと怖いと思います。

何に対しても、言葉で回答を出し、片づけようとする今の生活の中で、言葉のできないおばあちゃんの姿は、たくさんのことを教えてくれます。何度も、味わいながら見たい映画です。

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