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 花と兵隊

2009年10月

FLOWER & TROOPS

花と兵隊年

  • 監督・撮影・編集:松林要樹
  • 編集:辻井潔
  • 音楽:津嘉田泰三
  • 配給:安岡フィルムズ

2009年 日本映画 106分

 

第2次世界大戦のなかで、日本陸軍にとってもっとも悲惨と言われた戦いに「インパール作戦」があります。33万人の兵士が送られましたが、そのうち16万人が戦死、または行方不明となりました。食料と弾丸の不足、雨期の豪雨のなか、険しいビルマの山中で補給路を断たれた日本軍は、力尽き、餓死者の死体が累々と続きました。退路は「白骨街道」と呼ばれ、逃げ惑うなかでさらに3万人以上が亡くなったと言われています。南下した日本軍はラングーンの東で終戦を迎えました。そのなかの一部の兵士は、国境を越えてタイに逃げました。

地獄の苦しみから30年を経ようとしていた1974年、タイとビルマ(ミャンマー)の国境付近に、100人以上の兵士が住んでいるという情報を得た映画監督の今村昌平は、「未帰還兵を追って」というドキュメンタリーのテレビ番組を製作しました。

さらに、30年後の2005年、30代の松林要樹監督が、タイ・ビルマの国境へ入りました。今は80代となった未帰還兵6名のその後を追った作品が「花と兵隊」です。

逃げ込んだ先で、現地の女性と恋愛し、結婚して子どもをもうけ、その地の住民となりました。ほとんどの兵士が故郷で待つ家族の元に返ることを夢みたなかで、故国に帰るという選択肢を選ばなかった未帰還兵たち。地獄の苦しみを体験した彼らは、いったい何を思いながら戦後を過ごしてきたのでしょう。

ビルマ東部の現カレン州で終戦を迎え、カレン族の部落に逃げ込み、パオ族の女性、マ・ミャイと結婚した日系ブラジル2世の坂井勇さんは、エンジン技術を生かして精米所を作りました。地域の人々の世話をし、地域の人々と子どもや孫たちに見守られて、2007年に90歳で亡くなりました。

衛生兵だった中野弥一郎さんは、捕虜収容所を抜け出た後、カレン族部落で暮らしました。坂井さんの妻の姉妹にあたるマ・オンジと結婚し、医療活動のかたわら宝石商を営み、落ち着いた生活をしています。

不良少年だったという藤田松吉さんは90歳、長崎市の出身です。ビルマ作戦で足を負傷して所属部隊とはぐれ、タイ北部で終戦を迎えました。タイ国籍を取得し、果樹園を営みました。昭和48年に一時帰国した後、現地で800体の遺体を収集し慰霊塔を建立しました。2001年に妻を亡くした後、2009年1月に病院で亡くなりました。

松林監督は、未帰還兵に家に通い、次第に親しくなっていき、取材を重ねていきました。藤田さんへのインタビューは、なかなか難しいものがありました。上官の命令に逆らうことはできず、将校の命令で残虐行為をしました。「分かるか! 苦しいい。ここが苦しい」と胸元のシャツをつかむ藤田さん。仲間の遺骨を収集した藤田さんの行為は、映画「ビルマの竪琴」の水島上等兵を思い出させます。仲間の変わり果てた姿に何を感じ、土地で生きることを選んだのでしょう。

未帰還兵らは、監督にとって祖父にあたる年代です。しかし、彼らが天皇陛下のために戦地へと招集されたのは、監督と同じ年齢でした。そう思った監督は、祖父の年代にあたる彼らを同級生のように感じたときがあると言います。遠いことではなく、自分の身近なこととして描かれた「花と兵士」、美しい花である妻との生活も描きながら、「戦争っていったい何?」と問いかける貴重な作品です。


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