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校庭に東風(こち)吹いて

2016年 9月

 校庭に東風吹いて

  • 監督:金田敬
  • 原作:柴垣文子
  • 脚本:長津晴子
  • 音楽:山谷知明
  • 出演:沢口靖子、向鈴鳥、岩崎未来、星由里子、村田雄浩、遠藤久美子、柊子
  • 配給:映画「校庭に東風吹いて」配給委員会、ゴーゴービジュアル企画

2016年 日本映画 1時間52分

「場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)」という言葉をご存知でしょうか。家庭などでは話すことができるのに、幼稚園や学校など特定の場面や状況の中では、まったく話すことができなくなることを言います。映画「校庭に東風ふいて」は、場面緘黙児の女の子や、貧しい母子家庭の男の子がいる3 年生のクラスと担任教師を描きながら、学校教育のあり方を問題提起していきます。



物語

満開のさくらの花がまぶしい4月。実家で、母ハル江(星由里子)と妹、夫(村田雄浩)と暮らす三木知世(沢口靖子)は、物置の奥からほこりにまみれた自転車を持ち出してきた。転勤でやってきた新しい小学校が、今日から始まるのだ。「おはよう!」知世は、登校する子どもたちに声をかけ、新しく出会う担任のクラスの子どもたちに胸を膨らませていた。教室に入ると、カーテンをゆらし、風が吹き込んできた。「東風ね」。知世は、ここちよい春の風に吹かれ、希望がたかまっていた。

校庭に東風吹いて


しかし、出欠をとっていくと、すぐ問題となる子どもが見えてきた。呼ばれても返事ができない蔵田ミチル(岩崎未来)は、身体を微動だにせず、顔の表情もなかった。遅れて入ってきた安田純平(向鈴鳥)は、教室に入るなり、周囲の男の子たちから鼻をつまんで言われ、「くさい、くさい」と小突かれ、とっくみあいのケンカとなった。

ミチルは家では普通にできるのに、学校に来ると何もしゃべれなくなる「場面緘児(ばめんかんもくじ)」だった。母親の富子(遠藤久美子)に笑顔はなく、ミチルを厳しく育てていた。純平は、離婚した母・理恵(柊子)とふたり暮らしだった。理恵は夫の借金を背負って働き続け、とても貧しい暮らしだった。

校庭に東風吹いて


ある日、教室の窓からインコが飛び込んできた。純平はインコに名前をつけ、隠れるようにして学校の裏の物置で育てていた。何かとミチルのことを気にかけ優しくしてくれる純平は、秘密のその場所をミチルにだけ教え、一緒に餌をやっていた。

普通に接してくれる純平に、次第に心を開いていったミチルだったが、ある日、インコが物置からいなくなり、純平はそれをミチルのせいだと決めつけミチルを責めた。次の日、ミチルは学校に来なかった。

 

心の中のことを、なかなか表現することができない子どもたち。彼らは何かを伝えたい、訴えたいと思っているが、彼らが口を開こうとするのを、大人は待っていることができない。子どもに問題があるとき、かならず家庭や両親に問題があるのに、子どもたちを取り巻く環境までに視野を広げることができない教師たち。じっくりと見つめて生きたい、その奥にあるものを探したいという姿勢で関わる知世の姿勢は、今の管理組織になっている学校に、大きな石を投げていると思います。大切なことは何なのかを、見失っている現代社会。子どもたちの小さな変化に目を向け、ゆっくりと、じっくりと、子どもたちと関わりながら、その子が持っている生命力を発揮させる大人でありたいと思いました。



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