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シスター今道瑤子の聖書講座

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聖パウロ女子修道会会員 シスター 今道瑤子

第1回 導入

今日から新約聖書をご一緒に読んでいきたいと思います。
 聖書はいろいろの目的をもって読むことができましょう。日本では神の言葉としてよりも教養として求められていることが多いのかもしれません。聖書の知識なしには欧米の思想、文学、美術、音楽はおろか、日常の会話に飛び交うことわざさえも理解できないという現実があるからです。

このコースはそのような方にも役立つかもしれませんが、わたしの意図するのは「神の言葉」としての聖書を紹介することです。聖書に親しむうちに自分が神にありのままに受け入れられているということを少しずつ深く悟らせていただき、それを信じることができれば幸せです。

キリストの愛の宣教者と呼ばれるパウロは「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました(ローマ 5.8)」と告白し、キリストのことを「わたしを愛し、わたしのために身をささげられた神の子」と呼んでいます。

聖書をとおしてこのようなキリストとの出会いに恵まれることを願いながら学んでゆきたいと思います。ですから、このコースをキリストが教えてくださった祈りで始めたいと思います。

天におられるわたしたちの父よ、
み名(=父である神ご自身)が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころ(神の意志)が天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
アーメン(=そうなりますように)

神の言葉に養われずに神の子として成長することはできません。

皆さんはオオカミ少年の話をご存じですか。
 前世紀、世界で何件かオオカミが自分の仔たちといっしょに人の子供を養ってくれた例が発見されました。そのいずれの場合にも発見された少年少女は肉体的には人間という動物として成長していましたが、精神的な成長は見られませんでした。

彼らは雌オオカミの動物的母性に保護され、糧を得る術を習い、肉体を鍛えられてはいましたが、人との交流がなかったために思考のてだてとなる人間の言葉を知らず、精神的に成長することができなかったのです。

人は何らかの言語表現をもって対人関係を結ぶことを身につけ、言葉を介しての思考能力を身につけないと人間としての人格の形成は不可能なようです。

言葉が人間の人格形成に不可欠であると同様に、神の子にふさわしく日々成長してゆくためにはどうしても神の言葉にはぐくまれる必要があります。聖書はそのために神のはからいによって生まれ、伝えられてきた書物です。神の言葉によってわたしたちの「あり方」を少しずつ神の子たちのあり方に変えていただきたいという祈りをこめて、聖書に親しんでゆきたいと思います。

聖書の名称

聖書はヨーロッパではそれぞれ定冠詞付きでバイブル(英)、ビーブル(仏)、ビッビア(伊)、ビーベル(独)などと呼ばれますが、皆ラテン語のbibliaに由来します。このラテン語ビブリアは、中世時代にギリシア語の「本」の中性形複数タ・ビブリアから造られた造語です。ギリシア語では本をビブロスと呼びます。聖書がこのように定冠詞つきで「本」と呼ばれていた事実は、中世のヨーロッパでは本の最たるものといえば聖書という思いが一般化していたことを暗示しています。

新約聖書中に「聖書」とある場合、それはいつも「旧約聖書」を指しています。

 当時まだ新約聖書は存在しませんでした。新約聖書の原語はギリシア語ですが、旧約聖書のことを当時のユダヤ教の習慣に従って hai graphai(書かれたもの:複数形)(マタイ 21.42 ほか)と呼んでいますが、単数で he graphe と呼ぶ場合も見られます。この場合は一つの聖句をあらわすこともありますが、主に聖書全体をさしています(ヨハネ 2.22 ほか)。大変まれにですが後にラビ(ユダヤ教の教師)たちの間でもっと一般化する「聖なる書かれたもの」という表現も見られます(ローマ 1.2)。日本語の「聖書」という訳語の源はここに見ることができます。

旧約聖書についてひとこと

聖書は大まかに言って、旧約聖書と新約聖書の二部から成り立っています。キリストを信じる者の共同体である教会は旧約聖書をユダヤ教から受け継ぎました。

旧約聖書についてはいずれ日を改めて詳しくお話ししますが、イエスの誕生前の神の救いの働きを、神がご自分の救いの業の証人として選ばれたイスラエルの民の歴史的体験をとおして綴られたものです。

イスラエルの宗教は一般にユダヤ教と呼ばれます。ユダヤ教徒は聖書を決して旧約聖書とは呼ばず、普通「タナク(TNK)」と呼びます。この呼び名は旧約聖書の三つの構成部分トーラー(律法 T )、ネビイーム(預言者 N )、ケトビーム(諸書 K )の頭文字からなる略語です。彼らが旧約聖書と呼ばない理由はあとでもっとはっきりすると思いますが、キリストを信じない彼らにとってタナクを越える啓示はないからです。

今教会の中では、「旧約」、「新約」という呼び名を「最初の契約」、「最終の契約」と言い変える動きが徐々に起こっています。日本ではほとんど耳にしませんが、わたし自身は良い動きだと感じています。新旧という表現には優劣のニュアンスが含まれるため、ユダヤ教徒には不快に響くだけでなく、旧約聖書はそれ自身としての価値もあるからです。長い歴史の中でキリスト教徒はユダヤ教徒に対してたびたび差別と軽蔑を持って接した過去があることを思い合わせるとこの表現は一考に値すると思われます。

新約聖書の正典リスト

新約聖書は長短さまざまの27の文書からなっていますが、たとえば源氏物語のようにはじめから一つのまとまった作品として構想されたものではありません。

キリストの死後20年あまりたった紀元50年代から125年ごろまでにさまざまの有名無名のキリスト信者によって記された文書で、福音書、手紙、黙示文学など種類もさまざまです。

著者たちは不特定多数の読者に向けて書いたのではなく特定の地域に住み、具体的な状況の下にある教会あるいは個人に向けて書かれた作品です。当時は現在 *1 正典と認められている27巻のほかにも類似した多くの作品が世に出、それぞれ地方教会の祭儀のなかでも使われていたことがわかっています。


4福音史家のシンボル

教会は主の霊に導かれながら世紀をかけて取捨選択し、現在の27巻だけが聖書と認められるようになりました。現存する最古の正典リストは200年ごろにさかのぼるムラトリ断片で、このリストにはヘブライ書、ヤコブ書、ペトロの二つの手紙が載っていません。正典に加えるか否かについて一番問題にされたのはヨハネの黙示録とヤコブ書でしょう。カトリック教会が最終的に正典リストを決定したのは16世紀に今の北イタリア、トレント市で開かれた公会議でのことです。歴史的にはいろいろの経緯がありましたが、新約聖書の正典についてはキリスト教の教派を越えた完全な一致があります。

注解:

*1 正典
 聖霊の照らしのもとに書かれた、と教会に公認され、教義および信仰生活の基準となる文書。
 ギリシア語で「カノン」。

著者紹介:今道 瑤子(いまみち ようこ)
1929年、高松市生まれ。
1951年、東京女子大外国語学科卒業。聖パウロ女子修道会入会。
1975年、ローマ・グレゴリアナ大学神学部卒業。
1978年、教皇庁立ローマ聖書研究所聖書学修士課程卒業。
主な著書:「ルツ記」(共著)、「ユディト記」(共著)、『士師記・ルツ記』<フランシスコ聖書研究所訳注>(サンパウロ)、『新共同訳旧約聖書注解III・続編注解』(日本基督教団出版局)『ヨハネの黙示録を読む』(女子パウロ会)
主な訳書:『サクラ・ヴェルジニタス』(サンパウロ)、『聖書の歴史 全7巻』、『宣教者を育てるイエス』、『開け!EFFATHA』、『だれが私に触れたのか』、『パウロの宣教告白』、『ヨブ記の黙想』(女子パウロ会)

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