homeキリシタンゆかりの地をたずねてゆかりの地一覧 > 安陪川畔の刑罰場跡

キリシタンゆかりの地をたずねて

静岡県 静岡市

ゆかりの地

物語

安陪川畔の刑罰場跡


安陪川橋周辺
安陪川橋周辺

1615(元和元)年、棄教しなかった原主水といジュアン道寿、 ペトロ角助、 ヨハキム助九郎、 ペトロ宗休、ジョアン庄次郎、 ディエゴ清安は、牢内の仕置場で額に十字の烙印を捺されました。
 さらに東海道筋の見付近くの安倍川畔の刑罰場で、手足の指を切られ、 腰の腱を外され放逐されました。

 近くの河原にある小屋へと逃げ込みましたが、同宿・ジュアン道寿とペトロ角助は間もなく亡くなってしまいました。 残る人たちは、逃げました。

 1624(寛永元)年には、ここでガスパル甚右衛門が斬首されました。1631(寛永8)年には、5人のキリシタンが斬首されています。

 また、駿府のキリシタン発覚の原因となった岡本大八とその息子も、1612(慶長17)年に、安陪川畔で処刑されています。

 安陪川畔の刑罰場跡に、1644(寛永21)年に千日堂が建てられ、後に正念寺となりましたが、1872(明治5)年には、廃寺となりました。


  • 住所:静岡県静岡市葵区弥勒2丁目 付近

●関連記事:


▲ページのトップへ