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新藤が丘と花沢の殉教地


新藤ヶ台あたりと思われる場所
「鉄砲町」という地名が今も残る、新藤ヶ台あたりと思われる場所

新藤ヶ台は、米沢から半里(約2キロ)ほど離れていました。花沢は、この新藤ヶ台の近くであったようです。
しかし、信徒たちが住んでいた新藤が丘も、花沢の殉教地も確定できません。

 新藤ヶ台については、上杉藩の鉄砲隊が住んでいたと思われる「鉄砲町」という地名が今も残されています。

大満虚空蔵尊
大満虚空蔵尊

3人が処刑された花沢は、現在の下花沢3丁目にあった村と思われます。

 1818年の米沢城下絵図に、新洞ヶ台番所という名前があり、その近くに「虚空蔵」の社が記されています。この社は、現在下花沢2丁目にある「大満虚空蔵尊」ではないかと思われます。当時処刑は、寺院などで行われることが多く、この社で処刑が行われたとも考えられます。


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