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生涯を宣教地にささげたSr.宮田

2015.10.11


Sr.宮田

10月10日(土)の朝5:50に、一人の宣教女が、御父のもとへと帰っていきました。Sr.マリア・フランチェスカ宮田紀代子は、17歳のときに洗礼を受け、21歳で聖パウロ女子修道会に入会、1963年に初誓願を宣立しました。

1972年から宣教女としてペルーに派遣され、7年間働きました。その後日本に帰りましたが、1983年、今度は台湾に派遣されました。働き者で、単純、もの静かで、こまやかな気配りのできる姉妹として、台湾の姉妹たちに頼りにされ、その後32年間、台北、高雄、台中で宣教しました。

今年の4月、胃に痛みを覚えて病院に行ったときには、すでにガンは進み、手術を受けたのですが、ガンの進行をくい止めることはできませんでした。体力がつかないため、抗がん剤の治療を受けることができず、台湾の共同体で苦しい日々を送っていました。「わたしは宣教女ですから、最後まで台湾のため、その召命のためにささげたい」と言っていましたが、6月末、日本に帰りました。日本に帰っても、宣教女として生涯をまっとうできるということを受け入れました。

帰国後は、入院して治療を受けましたが、抗がん剤の効果はみられず、最後は修道院で過ごしたいと、点滴と緩和治療を続けました。手仕事の好きなSr.宮田は、病床でも手編みのストラップやロザリオ入れ作りをしていました。妹さんたちもたびたび訪れ、修道会の創立当初のような「女性の仕事場」のようでした。

Sr.宮田 Sr.宮田
祭壇と棺 説教する聖パウロ修道会管区長鈴木神父

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献花をする妹さんたち 出棺
 
Sr.宮田 Sr.宮田
2013年6月、誓願50周年を迎えて
(上段右から2人目)
誓願50周年を迎えた喜びのSr.宮田


長い年月を宣教地のためにささげ、最後は病気の苦しみをささげたSr.宮田は、聖パウロの言葉にあるように、「よい戦いを戦い、走るべき道を走り終え」ました。今はもう天国の栄光の中に招かれていることでしょう。



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共同祈願から

Sr.フランチェスカ宮田、天国への凱旋おめでとう! わたしはあなたのSOSを受けて総長にお願いして、ペルーに飛んでいきました。でも間もなくあなたは台湾に移動になりました。あなたは自分のことは忘れて、他人のために尽くす人でした。今はゆっくりとお休みください。わたしたちも凱旋の日まで、人に尽くすことができますように祈ってください。
(ペルーで、ともに宣教したシスター米竹の祈り、Sr.米竹は一緒に修練期を過ごした仲間)


Sr.宮田 Sr.宮田
誓願50周年のときのSr.宮田とSr.米竹 Sr.山田


木曜日の午後、病室を訪ねたとき、急に病状が変わってしまったことに気づきました。わたしが方各済(ファンカシ)と2度大きな声であなたの中国名(フランシスコ)を呼んだとき、少しだけ目を開いて反応がありました。あなたの心の中に、台湾が生きていると感じました。
あなたが台湾から戻って3か月ばかり、台湾のシスターからのメールには、「Sr.宮田や、今も台湾で宣教しているSr.平井、Sr.村山など日本のシスターたちが長い間、献身的に台湾の宣教のために働き、わたしたちによい模範を残してくださったので、彼女たちと最後までともに暮らしたいと願っていましたが、今回、日本に帰らなければならなくなったことは残念で、日本のシスターたちに申し訳なく思っています」というものでした。あなたは、台湾のシスターたちから方各済、方各済と親しみをもって呼ばれていました。台湾のシスターたちは、どれほどあなたに感謝していることでしょう。今日は、あなたの天国への出発です。ありがとうSr.宮田。東アジアのために新しい召命を送ってくださるよう、台湾のシスターたちとともに、またSr.テクラやこの世を去ったパウロ家族の兄弟姉妹とともに、すべてを知っておられる主イエスに願ってください。(台湾で、ともに宣教したSr.山田の祈り)


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