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新世紀ルーツへの巡礼

目次

福者ヤコブ・アルベリオーネ神父を訪ねて

12) スーザ

今回は、アルプス連峰の懐にある町スーザをご紹介しましょう。

 → 聖パウロ女子修道会(聖パウロの娘たち)の創立
 → 新しい名前:レ・フィリエ・ディ・サンパオロ

ケラスコの畑道

スーザに行く道中、行く手に連なるアルプスの山々が、私たちの目を楽しませてくれました。スーザの谷の入口にそびえる山上には、サクラ・ディ・サン・ミケーレ修道院という、古い観想修道会の修道院が見えます。遠くから見ると遺跡のように見えるこの修道院では、今も何人かの修道者が、観想生活を行っているそうです。

この町は、人口7000人足らずの、小さな静かな町です。バスを降りると、雪をいただいた山々が、この町を見守るかのように、その雄大な姿を表していました。

標識 近くの山

スーザの町に、シスターテクラ・メルロと誕生したばかりの聖パウロ女子修道会のシスターたちが来たのは、1918年12月のことでした。

人のシスターたちは、教区新聞「ラ・バルスーザ(La Valsuza)」の発行のためにここに派遣されたのですが、みな、印刷に関してはほとんど何も知らなかったそうです。

彼女たちにとって、アルプスから吹き下ろす12月のスーザの風は、特別に寒かったことでしょう。

教区新聞「ラ・バルスーザ」の事務所 教区新聞 ラ・バルスーザ紙
教区新聞「ラ・バルスーザ」の事務所 教区新聞 ラ・バルスーザ紙

スーザの町で、出版のために働く使命を受けた娘たちは、活字を拾い、小さな書院を開き、熱心に使徒聖パウロに祈りました。いつしか彼女たちは「聖パウロの娘たち」と呼ばれるようになります。

今、スーザには、パウロ家族の修道院はありません。私たちは、町の人たちに尋ねながら、パウロの娘たちの足跡を訪ねました。

最初の家の跡は、今は店舗となっています。次に移り住んだ家は、壊されてしまったのか、はっきりとした場所もわかりませんでした。

しかし、教区新聞「バルスーザ」の事務所を訪ねることができました。みなさん、とても親切に現在の新聞を見せてくださり、聖パウロの娘たちが発行した「ラ・バルスーザ」の最初の新聞を探してくださったのですが、残念ながら見つかりませんでした。

聖パウロの娘の移り住んだ家跡付近 スーザのカテドラル
聖パウロの娘の移り住んだ家跡付近 スーザのカテドラル

スーザには、いくつもの教会がありますが、聖パウロの娘たちが毎日通ったカテドラル(司教座聖堂)で、私たちはミサをささげ、聖パウロ女子修道会の貧しいく小さな出発を主が導き守ってくださったことに、感謝しました。

祭壇 脇祭壇
祭壇 脇祭壇

このカテドラルも、大変美しい教会でした。特に金のご像や細工が多く、フラッシュをたくとハレーションをおこし、フラッシュなしだと真っ暗になってしまい、写真を撮るのに一汗かいてしました。

ステンドグラス

ステンドグラス

ステンドグラスを通して柔らかい光が入ってくる薄暗い聖堂に座っていると、時間が戻って、シスターテクラ・メルロや初期のシスターたちが、すぐそばで、熱心な祈りをささげているような感じを受けました。

聖堂内のマリア像 カテドラルの入り口にある壁画
聖堂内のマリア像 カテドラルの入り口にある壁画

次回は、マジョリーノ・ビゴルンゴの故郷ベネヴェルロをご紹介します。

◆福者ヤコブ・アルベリオーネ神父を訪ねて


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