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新世紀ルーツへの巡礼

目次

教区認可修道会として

3) 聖パウロのぶどう畑

創立者の目

ローマのオスティエンス通りの修道院は、志願者の増加により手狭になり、落ち着いて祈りもできず、使徒職も思うに果たせなくなってきました。そこで、ジャッカルド神父は、「主よ、あなたはあなたがたは雀より優れていると仰せになりました。私たちに住みかをお与えてください」(マタイ 10.29~31 参照)と祈り、会員にも祈らせていました。たびたび、聖パウロ大聖堂で聖体訪問をし、このことを聖パウロに打ち明け、祈っていました。

1927年のある日のこと、聖パウロ大聖堂の主任司祭でベネディクト会士のトリフォーネ神父に、次のように相談しました。  「神父様、神のみ摂理によって大勢の人が私たちに任せられました。あなたもよくご存じのように、大事なのは彼らの養成です。しかし、私たちの修道院は小さいため、たくさんの時間を無駄にし、疲れもつのります……」と。

これを聞き、心打たれたトリフォーネ神父は、ある日、ジャッカルド神父と連れ立って、聖パウロ大聖堂から約500メートル離れたグロッタペルフェッタ通りにあるベネディクト会所有の畑と農家を見に行きました。

ここは、通りからなだらかな丘陵地帯になっており、その一部にはぶどうが栽培され、一部は牧草が植えられ、そのほかは荒れ地となっていました。ここは、「聖パウロのぶどう畑」と呼ばれていました。

この土地は5ヘクタール(5万平方メートル、約一万五千坪)の広さでした。これは、1920年にアルベリオーネ神父が、アルバに土地を購入したのと同じ広さでした。

ジャッカルド神父にとって、ローマの郊外、しかも聖パウロ大聖堂から歩いてわずかのところにあるこの地は非常に魅力的でした。彼は、このぶどう畑をゆずって欲しいと願ったのです。

パウロ

●トリフォーネ神父と一緒に、聖パウロ大聖堂に戻ったジャッカルド神父は、聖パウロの遺物のある祭壇のもとにひざまずき、このことが実現するようにと熱心に祈りました。

●トリフォーネ神父は、とりあえず大修道院長にこの土地の件について話したところ、大修道院長はこれをベネディクト会士たちに知らせ、同意を求められました。会士たちは、喜んで土地の譲渡に同意したのでした。

ジャッカルド神父は、このよい知らせをすぐにアルベリオーネ神父に伝え、彼からの返事を受けました。
 「これで、ローマに住むことは、神のみ旨であるとたいへんはっきりしたと思います。『聖パウロのぶどう畑』を入手してください。正確な土地価格、その支払い方法、利子については、そちらで決めてください。早く手を打つように」

ジャッカルド神父は、すぐにシュスター大修道院長を訪れ、手続きを開始しました。

◆2--11 教区認可修道会として


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