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新世紀ルーツへの巡礼

目次

東洋へ

1) 中国と日本

いよいよ、聖パウロ会は、この日本の地に向けての第1歩のために、その準備をはじめます。アルベリオーネ神父の心に、日本の人々への思いが膨らんでいき、それは彼の息子たちへと託されていきました。
その歩みを、数回に分けてお届けします。

机に向かう創立者

1934年、アルベリオーネ神父は、「聖霊は、このごろ、特別にその霊感を感じさせてくださっているようです。私たちの会をお気に召され、まだ神の聖なるみ名が知られていない遠い地、他の国々にも、パウロの精神が運ばれていくことを望んでおられるようです」と述懐しています。遠い地とはいったい、どの国だったのでしょうか。

新しい目的地は、まさに極東の中国と日本でした。彼は霊的手記の中で、アジアとアフリカは強く心を打ったと書いています。

アジアとアフリカが特にかれの心を打った。
人は自分から離脱すればするほど、イエス・キリストが人類にもたらされた天の賜物を、いまだに手にいれていない気の毒な人びとが必要としていることを広く深く感じるものである。
そしてこの気持ちは、主との親しみに深く入っていくほど、いきいきとしてくるのだ。

1934年11月に、アルベリオーネ神父は、若い神父に書いています。「イエスが使徒たちを派遣されたように、私はあなた方を派遣します……アルバのムッソットまで行くぐらいのつもりで、上海に行くことを考えなさい」と。

その月の9日、エミリオ・ファッシーノ神父とピオ・ベルティーノ神父が中国に、パウロ・マルチェリーノ神父とロレンツォ・ベルテロ神父が日本に向けてイタリアの港を出帆しています。日本に派遣された パウロ・マルチェリーノ神父は32歳、ロレンツォ・ベルテロ神父は26歳でした。

アルベリオーネ神父は、パウロ会来日25周年を記念した時、書簡を送り、日本からの報告と同時に次のように書いています。

現在聖パウロが生きていれば、必ず東洋におもむき、日本を特別の愛の瞳をもって見つめたことでしょう。
私は、毎日、日本における聖パウロ家族のために祈っています。
私は、あなたがたの使命が、いかに多くの犠牲を要するを知っています。
またそれにもかかわらず、あなた方がいかに寛大であるかをも知っています。
今 行われている使徒職は広大であり、その成果は、カトリック界のみでなく、広く一般の人びとのうちにおいてさえ注目されています。
私は、ローマから毎日あなた方に祝福を送っています。
そしてこれは、夕べに私が行う最後の業です

二人の日本への出航までに、彼らにはどのような歩みがあったのでしょうか。

ある日、ミサの後に、アルベリオーネ神父は、マルチェリーノ神父を呼び、地球儀を見せこういったのです。
 「ブラジルとアメリカ合衆国に修道院が開かれました。この度は極東に修道院を開きます。」
 マルチェリーノ神父が、「勇気あることですね。神様が祝福されますように。しかし、なぜ私に、このことを話されるのですか」とアルベリオーネ神父に尋ねると、「考えておいて下さい」と彼は言ったのです。

その数年後、1934年、ローマ修道院の会計係をつとめていたマルチェリーノ神父は、アルベリオーネ神父から「次の船で、日本へ行きなさい。あなたの連れは、ベルテロ神父です」という電報を受け取りました。

翌朝ミサ後、マルチェリーノ神父は、船会社を回り、日本行きの船を見つけ、11月に出発する船のキップの予約をとることが出来ました。その間に パスポートの申請や後任者へ事務の引継ぎをし、肉親、親族、知人、友人などに別れのあいさつ回りをし、ついでに寄付をも集めたのでした。

チマッチ神父
  チマッチ神父

●マルチェリーノ神父には、このような思い出がありました。
 1925年の終わりごろ、アルバ修道院に一人の来客がありました。サレジオ会のチマッチ神父でした。マルチェリーノ神父が呼ばれ、応接間で 彼がチマッチ神父を出迎えることになりました。

●チマッチ神父は、「私は、日本へ出発します。日本で私たちは会を設立するつもりです。私たちがしようとしている仕事の一つは、カトリック出版物を出すことです。私たちサレジオ会員にとって、出版するという使徒職は、いろいろな使徒職の中の一つです。出版使徒職を使命とするあなた方がどうして日本に来ませんか。そこには多くの使徒業があります」とマルチェリーノ神父に告げたのでした。

マルチェリーノ神父は、「そのとおりです。私は喜んで行ってみたいです。しかし、私たちの会は、まず基礎がためをしなければなりません。私はパウロ会に入る前から、宣教師になる夢をいだいていました」と答えたのでした。

この出会いの7年後に、マルチェリーノ神父は日本へと旅立つことになったのです。

◆2--14 東洋へ


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