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新世紀ルーツへの巡礼

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4) 日本初の聖パウロ会士・桑島神父へのインタビュー 1

桑島神父
桑島神父

インタビューの語り手は桑島 啓吉神父、聞き手は女子パウロ会 シスターです。

聞き手:

1934年に日本にパウロ神父様一行が来日された、つまり、聖パウロ会が創立され、その時かれらはいろいろとご苦労なさったと伺っております。その状況を桑島神父様がいろいろ見聞きしていらっしゃると思います。それを含めながら、神父様がどのように聖パウロ会をお知りになったか、その辺をお話しいただけますか。

桑島神父:

コルニエ神父
コルニエ神父

2人の神父が来日した時に、聖座の許可や大司教様の許可はありませんでした。それにはアルベリオーネ神父のやり方があったと思います。来日した時、まだ受け入れ態勢が整っていませんでした。それで、三河島のサレジオ会士にお世話になりました。
 その後、彼らは国に帰れと言われたのですが、なんとかとどまり、しばらく隠れた生活をすることになります。大森教会に、ミッション会のコルニエ神父様という方がおられました。彼は好意をもって、お世話をしてくださいました。私は、もちろんそのいきさつは知りません。

マルチェリーノ神父とベルテロ神父
マルチェリーノ神父とベルテロ神父

私の伯母は、樺太で教会に行っており、その後東京に帰ってきました。その伯母は、カトリック信徒となっていました。しかし、私の家はカトリックとは全く関係はなく、祖母は熱心な日蓮宗の信徒でした。

 その叔母が三河島の教会に行って、そこで、ピアチェンツァ神父様から「聖パウロ会の神父様が、彼らをお世話してくれる人を探していますが、だれか知りませんか」と聞かれたのです。伯母は、「それでは」ということで、聖パウロ会の神父の世話することになったのが、ことのはじまりです。
 そのころ私は、12歳でした。
 大森の聖パウロ会の借家と、私の家が比較的近かったので、伯母がいろいろ神父たちの世話している間に、私の母を聖パウロ会に連れていきました。こうして、私も聖パウロ会に顔を出すようになりました。それが聖パウロ会の神父たちと、私がはじめて出会った時となります。そして、神父たちも私の家に来るようになりました。

 マルチェリーノ神父とベルテロ神父の2人が訪問した時、私たちが正座しているのを不思議に思っていました。足を触って「このような座り方をしている」と、言っていました。その時、ベルテロ神父はひげを伸ばしていたので、パウロ神父より年上に見えました。
 私は、時々、神父たちの家に行っていましたが、彼らは日本語の勉強をはじめていました。外部から先生がいらしていましたが、毎日ではありませんでした。私が行った時、小学校の教科書を勉強していました。それを読んで、私が少し手伝ったことを覚えています。

聞き手:

神父様が少年の時に、彼らと接してどのような印象を受けましたか。

桑島神父:

神父たちと接していた時、私はあまり違和感はありませんでした。こういう方もいるのだな、ということで。
 母は、マルチェリーノ神父から公教要理(キリスト教の教え)を習っていて、また大森教会からシスターも来られて勉強していました。

 その後、大司教様が彼らが日本にとどまることを許可され、「教会を持ちなさい」と言われました。自分たちで、やりなさいということでしょう。

 それで、費用の面ではずいぶん苦労したと思いますが、今の北区の東十条、そのころは下十条と言っていましたが、その駅の近くに教会を開くことに決めました。借家でした。
 その時私たちは、大森から下十条に移るかどうか迷っていました。
そのころは、母が伯母に代わって神父たちの世話をするようになっていました。このような縁で、彼らと一緒に行くことになりました。

 私はどちらでもよかったのですが、王子に一緒に行くことしました。そして、母はすでに洗礼を受けておりましたが、私はそこで洗礼を受けました。
1936年8月14日、被昇天の祝日の前日でした。

聞き手:

大森にいらした時には、民家で、お二人の神父様だけで、まだ日本に慣れるための生活をしておられたのですか。まったく外的な活動は出来なかったのでしょうか。

桑島神父:

はい。そうです。日本語を学んでいました。
 生活のためでしょうが、確かマルチェリーノ神父がイタリア大使館の子弟と思いますが、ラテン語を教えていたようです。
 アルベリオーネ神父は、お金をくれませんから。そうでもないと、生活ができなかったでしょう。

聞き手:

あの活発なマルチェリーノ神父様が、許可がおりるまで大森でじっとしておられたという姿が、なかなかイメージできないのですが……

桑島神父:

そうですね。
 彼は、日本にいらしてまもなく胃潰瘍かなにか病気をしたので、休みの一環になったかもしれません。

聞き手:

王子の時代にボアノ神父様が来日されたのですか。

桑島神父:

パガニーニ神父もです。彼が先ですね。トラポリーニというブラザー、その後にボアノ神父、そしてキエザ神父という順に来日しました。

◆2--14 東洋へ


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