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新世紀ルーツへの巡礼

目次

創立の歩みの中で

今日の使徒聖パウロとなる

使徒パウロ
最初にかかげられた聖パウロの絵

人々の救いのために、「キリストへの道」に導く最良の道案内人を探しているとき、アルベリオーネ神父は、使徒聖パウロを見いだしたのでした。

「聖パウロが、もし現代に生きていたら、必ずジャーナリストになったであろう」というケッテラー司教の名言を、アルベリオーネ神父は繰り返し語っていました。

現代における使徒聖パウロの最も熱心な弟子となり、使徒聖パウロに倣うものとなること。アルベリオーネ神父は、彼が創立した修道会をとおし、また、使徒職に社会的コミュニケーション・メディアを使って(当時は、「よい出版物」と言っていた)いま、教会のなかに、諸民族の使徒聖パウロを再現させたいと考えたのでした。

今日生きていたら、使徒聖パウロは何をするでしょうか。現在の状況において、どのようにキリストを愛するでしょうか。この時代の人々に福音を告げるとしたら、何をするでしょうか。

この問いは、いつも、どこにあっても、アルベリオーネ神父を動かす使徒的な動機になっていました。「使徒聖パウロは、自分が今日生きていたならば、したいと思うことを、私たちにさせたいのです」と。

「精神は伝統的、形は新しく」、これが、神から受けた使命を実現しようとしたアルベリオーネ神父のコンセプトでした。

伝統的な精神とは、福音の精神、使徒聖パウロの精神、教会がもっているよりよい伝統的な精神のことでした。

新しい形とは、マス(大衆)への影響と、人間の相互関係という面で、20世紀に人類がなし遂げた進歩が提供する出版、映画、ラジオ、テレビ、つまり、社会的コミュニケーションのメディアのことです。

社会的コミュニケーションのメディアは、絶えず進歩していくものなので「より迅速で効果ある手段」を、取り入れる絶え間ない識別、「時のしるし」にいつも敏感であることが求められます。

驚くべき柔軟さと勇気をもって、アルベリオーネ神父は、この世界、人類の進歩が生み出した神のたまものである、コミュニケーション・メディアの世界に飛びこみ、そこに使徒職の神髄を吹きこんだのでした。

教会のなかで彼は、キリストを伝えるこの新しく難しい手段、しかも、進歩し続ける手段を前にして、「今、使徒聖パウロが生きていたら……」と常に問いかけていました。

アルベリオーネ神父は、この問いかけを最初から抱き、使徒聖パウロが今日生きていたならばしたいと思うことを、私たちが行う必要があると語るのでした。そして、新らしい修道家族のために、生涯をささげるようにと勧めていました。

このアルベリオーネ神父が抱いていた精神、コンセプトは、当時の少年たちの心を動かしたのでした。

日本の聖パウロ会を創設することになったパウロ・マルチェリーノ神父は、「アルベリオーネ神父さまが自分たちに語ってくれたとき、内容はわからなくても、私たちの心は燃えていた。彼が将来こうなると言ったとき、夢のような話しでもそうなるんだと信じた」と話していました。

アルベリオーネ神父は、「良い出版物が、今までの説教の形を変えるものだ」と強調していました。

当時の教会で、教会の説教壇から信徒に説教できる司祭は、特別に勉強をした人でした。出版物で語ることは、この説教壇から説教をするのと同じ、いやそれ以上の効果をもたらすのだ、とのアルベリオーネ神父の話は、当時の少年少女を引きつける何かをもっていました。

またアルベリオーネ神父は、志願者たちを神学校の近くにある、聖カタリナ聖堂に連れて行って聖体訪問をし、日曜日には教会の前に売店を開き、書籍や新聞を紹介していました。

聖パウロ会が創立された翌年、1915年には聖パウロ会のかたわらにあって、女性の視点をもって、ともに補い合いながら共通の使命を果たす聖パウロ女子修道会が創立されました。

フランシスコ・レ司教はこれらの事の成り行きを見とどけると、教区への奉仕の仕事から身を引きたい、というアルベリオーネ神父の請願を聞き入れて、こう言われました。「君を自由にしてあげよう。こちらは他の策を講じることにしよう。着手した仕事に全力を尽くしたまえ」と。

アルベリオーネ神父は1920年に、神学校の霊的指導、教授を辞任しました。
 彼はこの時、悲痛の涙を流しました。教区にたいそう愛情を感じていたからでした。しかし、彼はすでに1年前から辞表を提出しており、指導司祭もそうすることが神のみ旨であると認めていたので、これからは神が彼に託した使命をただひたすら前進することになります。

◆2--2 創立の歩みの中で


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