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新世紀ルーツへの巡礼

目次

豊かな恵みの富

1)ふしぎな示現

光が差し込む

アルベリオーネ神父の体験した不思議な体験、「パウロ家族の将来の指針ともなる不思議な体験」とはなんだったのでしょうか。今回はこの体験について触れていきたいと思います。

アルベリオーネ神父は、ベネヴェッロで療養してからアルバに戻りました。その後、彼の健康は具合がよくなったり悪くなったりを繰り返していましたが、不思議にも元の体力を取り戻しました。

アルベリオーネ神父自身、彼の霊的手記の中で次のようにつづっています。

ある考えを静かに、穏やかに心にあたためて、それが熱するのを待つ必要がたびたびあった。
 主は、そのようなとき、彼(アルベリオーネ神父)が短時日、床につくようにはかられた。自室に閉じこもってのち、彼は元気を回復し、前よりもはっきりとした視野をもって部屋を出、企画したことを手がけはじめるのだった。
 霊的指導司祭に計画案を提出し、場合によってはこれを訂正したり、あるいは筆を加えたりした。そして必要なときには、教会の権威にも計画案を提出した。
 いつでも機が熟していたわけではなかった。しかし主はしもべに仕事を任せ、彼が間違うのも放置しておかれ、こうして機が熟していないことをわからせてくださった。
 しかし主はやがて自ら介入して、しもべの過ちや間違いを償ってくださるのだった。

主のみ手は私の上にある……
主のみ手は私の上にある……

1922年、アルベリオーネ神父は健康を害し、1週間ベッドにいて何も食欲がありませんでした。その時、キエザ神父が見舞いに来て、「聖人たちというものは、少し体の調子がよくなったり、悪くなったりしながらも、その間に善いことをして向上前進するものだ」と言っていました。

しかし、ある人たちは「創立者が、もっと健康であったら、もっと善いことをしたでしょうに」と嘆くのでした。こういう人たちに対して、キエザ神父は、「いいえ、あの人は元気であると1人分の仕事しかしないが、健康がすぐれないと10人分の仕事をする」と答えていました。

このような中にも、いやこういう歩みだったからでしょうか。神のみ手はアルベリオーネ神父の上にあったのでした。

アルベリオーネ神父は、彼の霊的手記の中に、彼の身に起こったいくつかの不思議な体験についてつづっています。

最初に建築した家に移り住んだばかりの1922年ごろ、最も鋭い苦しみを感じはじめた。
 ひとつの夢をみた。
 200という数字が印されているのをみたが、それが何を意味するのかはわからなかった。
 そして、「皆を愛せよ、寛大な人びとは多い、しかしおまえは、脱線する者や退会者のために苦しむだろう。それでも堅忍せよ、いっそうすぐれた人びとを得るだろう」と言われるのを聞いた。

 200 という数字は、聞いた事柄とは何の関係もなかった。だがその鋭い苦しみは、心に突き刺さった一本のとげのように、いつまでも彼に残されたままだった。

「霊的手記より」

もうひとつのエピソードは、彼自身の手記の中で2ページ以上費やして書かれています。それは、当時、そしてまたその後も、パウロ会とパウロ家族にとって、このエピソードが持つ重要性を考えると当然のことでしょう。

この夢について、1938年、アルベリオーネ神父自身、パウロ会司祭の黙想の説教の中で、はっきりと話しています。


イタリア語 恐れるな

日本語 恐れるな
日本語 「恐れるな」

私は、つきあたりのあの部屋で、仕事のできない日々のある日、私の見たことは、はっきりしています。
 聖師(イエス・キリスト)は行き来していました。その近くに、あなた方の何人かがいました。
 そして、聖師はこう言われました。
 「恐れることはない。
  私はあなた方と共にいる。
  ここから照らそう。
  悔い改めの心を持ちなさい。」
と。

ここには、いくつかの興味深いことが言われています。

  1. 彼が見たことは非常に明瞭(めいりょう)だったこと。
  2. この夢を見たのは、あの奥の部屋であったこと。
  3. 聖師は話しながらゆっくり歩いておられ、そばにあなたたち(説教を聞いていた司祭たち)のうちの数人がいたこと。

この夢は、1923年にさかのぼる出来事であり、その年のはじめころ、アルベリオーネ神父の健康がすぐれず、いのちの危機にひんしていたころです。

この夢を見た“あの部屋”について、ある人は彼の療養していたベネヴェッロであると言い、ある人はアルバの母院として最初に建てられた修道院の4階の階段の上にあった彼の寝室であると言います。確かなことは、彼が重病であった時の出来事であったということです。

アルベリオーネ神父は、この夢を常に「非常に重要な出来事」と見なしていました。聖師の口から聞いたというその言葉は、彼にとってひとつの確信となり、生涯のプログラムとなったのでした。

彼は修道会創立40周年の折りに書いた霊的手記、豊かな恵みの富(エフェソの信徒への手紙)」の中で、数ページも割いて書き記しています。

アルベリオーネ神父の霊的指導者キエザ神父は、彼の体験をうち明けられた後、「安心しなさい。夢か何かは別として、言われていることは聖なることだ。自分のため、また、全会員のために、生き方とも光ともなる具体的なプログラムとしなさい」と言われました。 すべてが出てくる「源泉」は、聖体である、というこの言葉は、パウロ家族にとって生き方の基本的なものとなりました。

使徒の女王聖堂内
使徒の女王聖堂内

1953年、ローマに使徒の女王に捧げる聖堂が建てられた時、聖堂の正面に彫りつけるために、数人のパウロ会メンバーは設計士と相談しながら、特別に意味深い言葉を探していました。するとある日、アルベリオーネ神父は、1枚の紙片を設計士に渡したのです。それにはこう書かれていました。

飾り壁に彫りこむ言葉はこれでなければならない。
  “Nolite timere. (恐れるな、)
  Ego vobiscum sum. (私はあなたたちともにいる。)
  Ab hinc illuminare volo. (私はここから照らそう。)
  Cor poenitens tenete.” (悔い改めの心を保ちなさい。)

アルベリオーネ神父が、ローマの大聖堂の前面に彫りつけさせたこの言葉、つまり、ラテン語で話されたという聖師のお言葉は、彼の望みどおりに、ラテン語またはその他の言語で、パウロ家族のあらゆる聖堂、聖櫃(せいひつ)の近くに書かれており、愛されている言葉です。

聖体礼拝は、パウロ家族の信心とあらゆる形態の使徒職の根なのです。すべては「ここから……」です。

種々の計画が炎のように順々に燃え出たのです。しかもそれはいつでも一見最も困難な時期と見えるときにでした。1921年トリノで、創立者のいのちまでが、彼の行っているその固有の使命そのもののために狙われていました。

アルベリオーネ神父とその弟子たちは、すべてがホスチア(聖体)のイエスのたまものであり業であることを知っていました。アルベリオーネ神父は、いつも弟子たちに、召命の中にある神の分と人間の分を識別することを教えました。

「神にはいっさいの栄誉を、私にはさげすみを!」。この謙虚さの土台の上に立って、使命は固まり、だれの予想をも越えて発展したのです。

◆2--7 豊かな恵みの富


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