home > 女子パウロ会とは > 新世紀ルーツへの巡礼 > 3-聖パウロ女子修道会の創立 > 1) 小さなはじまり

新世紀ルーツへの巡礼

目次

3--1 聖パウロ女子修道会(聖パウロの娘たち)の創立

1) 小さなはじまり

1914年に創立された聖パウロ会は、第一次世界大戦の荒波をもろにかぶったのでした。出版使徒職に必要な紙、活字、インクの他に、衣食住すべてが不足し、物価は値上がりしていました。

なぜ、このようなときに新しい事業をはじめるのか、若い人の将来を台なしにするのではないか、などのアルベリオーネ神父を非難する声が教会の内外から起こりました。中には、司教にだけではなく、バチカンに訴える人もいました。

その上、アルベリオーネ神父は健康に恵まれず、修道会の創立という重責は荷が重すぎるのではないかと、人々の目にはうつったのでした。


創立者

1915年出版「司祭の熱誠に協力する女性」
1915年出版「司祭の熱誠に協力する女性」

そのような状況の中で、アルベリオーネ神父は、聖パウロ修道会のほかに、女子の修道会、聖パウロ女子修道会(女子パウロ会)をも創立したのでした。

アルベリオーネ神父はすでに修道女のために、1911年から、一冊の本の著述を手がけていました。それは、「司祭の熱誠に協力する女性」という本でした。そこには、司祭と協力するとき、女性はどれほどのことをなしうるかを解説し、ことに出版使徒職や、社会的、司牧的使徒職の分野で、女性になにができるかを書いていました。

彼は、このような可能性は、もしその女性が神に自らを生涯ささげた修道女であるときには特に大きいともいっています。このような修道女は、祭壇でいけにえをささげる司祭のかたわらにあって人々に福音を告げる助祭の使命と似ている、つまり、祈りと、真理の普及に全生涯をささげて、司祭的使命に協力する使命であると彼は言っていました。

この本は、当時の司祭たちによく読まれました。この本のコンセプトつまり、「司祭の熱誠に協力する女性」に共鳴した教会の主任司祭たちは、修道生活を希望する若い女性たちを、アルベリオーネ神父に、紹介してくれるようになりました。

彼は、この本が「神の時が到来し、召命のある女性を送ってくれるようにとの呼びかけがあるとき、それを受け入れる雰囲気を準備した。」と言っています。

彼自身も、教会に行ったときには、この道に招かれていると思う女性には、すすんで霊的指導をしていました。

その中に、アンジェラ・ボッフィという女性がいました。アルバの大きな会社に勤めていた彼女は、フランシスコ・キエザ神父の指導で、教会活動を活発にしていました。彼女は、長いこと修道生活への夢をいだいていたのでした。アルベリオーネ神父は、キエザ神父から紹介されたこの女性の霊的指導をするようになりました。

1915年、ボッフィは、アルベリオーネ神父の使命に共鳴し、彼女が母親と一緒に住んでいた自分の家を彼のために開放し、彼が集めていた若い女性たちを住まわせたのでした。この女性たちこそ、のちに新たな大きな使命をになっていく人たちだったのです。

アルベリオーネ神父は、彼女らによって、良い出版物を刊行させ、普及させようと考えていました。彼は歴史をふりかえったとき、人類の偉大な恩人や大聖人のそばに、いつもその使命の達成のために協力する女性の姿が見られたと言っています。例えば、聖ベネディクトのそばには、聖女スコラスチカが、サレジオの聖フランシスコのそばには、聖ヨハンナ・フランシスカ・ド・シャンタルが、聖ヨハネ・ボスコのそばには、聖女マリア・マザレロがいたように、と。

この時代には、修道女のイメージといえば、修道院内で静かに祈ったり、人々の看護をしたりという姿でした。

印刷学校

そこでは、若い女性たちを集めて裁縫を教える仕事場をはじめ、善良で教養のある優秀なカテキスタを養成することが期待されました。同時に、女部屋開設の目的の一つである宣教のため、また、印刷学校ではとうていできない普及のために、そこに小さな書院を設けることも意図されました。

創立後約1年間、女部屋のメンバーは、わずか三人だけでした。しかし、これが聖パウロ女子修道会のはじまり、将来、聖パウロ女子修道会に成長するはずの最初の種だったのです。

それから、時間をかけながら、少女たちは、ごくちいさな書院を開くことになります。これが、のちに全世界に“聖パウロの娘たち”が開設していく、神のみことばを普及するためのセンタ-のはじまりです。

創立当初は、いろいろな困難がありました。まず、初めの数カ月の間、彼女たちの主な仕事は軍服を縫うことでしたが、彼女たちは正当な報酬を請求することを知らず、また、規定どおりに仕立てることもできず、無益な作業をすることもありました。

日曜、祭日になると、彼女たちは、聖ダミアノ教会のカテキスタに変身しました。聖ダミアノ教会の主任司祭は、当時、フランシスコ・キエザ神父でした。

シニョリーナ・ボッフィ(ボッフィさん)は、非常にすぐれた能力の持ち主で、キエザ神父は、彼女に20名を数えるカテキスタたちの講話を委ねていたことが、彼の教会日誌の記録に残されています。

間もなく、彼女の母が住んでいるアカデミア通りの家に、女部屋が移されました。そこで彼女たちは、将来実現されるはずの固有の使命に向けて一歩前進することになります。縫い物の仕事を続けるかたわら、カテキスタの仕事に愛をこめてうちこみ、また同時に出版の仕事にも広くたずさわるようになりました。

◆3--1 聖パウロ女子修道会(聖パウロの娘たち)の創立


▲ページのトップへ