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新世紀ルーツへの巡礼
もうひとつのうまぶね 「師イエズス修道女会」
4)3月25日、パウロ家族はじめての着衣式
シスター オルソラ・リバータ
1924年3月25日、パウロ家族はじめての*1着衣式がありました。「神のお告げ」の祝日です。
修道生活にふさわしく特別に準備され選び出された8人の志願者は、アルバで着衣式を受けることになります。
オルソラ・リバータは、アルベリオーネ神父の指導のもとに、生地やデザインを決めました。その時代に考えられた修道服は、そでが広いもので、彼女たちもそう希望しましたが、アルベリオーネ神父は、「イヤ、とんでもない、動きやすいものを」と言われたのです。
パウロ家族の中で着衣は、師イエズス修道女会がはじめてのことでした。修道服の色は紺色で、長いスカプラリオは、白くブルーのふちどりで、胸に聖体の刺繍(ししゅう)がほどこされていました。形は、昔の観想会の修道服のデザインでした。
着衣したシスターたち
白とブルー、それはルルドで聖女ベルナデッタに出現された、聖母の洋服の色でもあるのです。聖師に従った第一の弟子、もっとも完全な弟子であるマリアを 思い出させるばかりでなく、聖母マリアがこの少女に求められた償いのことも、合わせて想起させる色でした。
いよいよ3月25日早朝、アルバの聖パウロ会聖堂において、8名は、アルベリオーネ神父の司式により、ジャッカルド神父、マエストラ・テクラ、聖パウロ会会員、聖パウロ女子修道会のシスターたちの見守る中で、着衣しました。
この時から、聖パウロ会の会員たちは、彼女たちを「私たちのシスター」、「青いシスター」、「マリアのようなシスター」と呼ぶようになりました。
8人の志願者は、アルベリオーネ神父の手をとおして私的誓顧を宣立し、各自“新しい名前”を受けました。
オルソラ・リバータは、弟子の意味をもつシスター スコラスチカと呼ばれました。彼女は、アルベリオーネ神父から受けた新しい名前は、想像もしていなかったものでした。
アルベリオーネ神父が、「動きやすいものを」と望まれたとおり、彼女たちにとって、「隠れた犠牲」は、料理、裁縫、サクレスティア(香部屋の仕事)、看護、畑仕事、パン焼き、粉ひき、靴修理、家の修理などのいっさいの仕事を引き受けることでした。
こんなこともありました。
師イエズス修道女会のシスターたちには、修道院が必要でした。しかし、アルベリオーネ神父が、「なんとかやってみなさい」と言われる勧めに従うより ほかになかったのでした。
彼女たちは、このために注ぐお金はないことをよく知っていました。
聖パウロ会の土地のほぼ中央に、古い農家が残っていたので、彼女たちはその屋根を自分たちで修理し、金槌(かなづち)とのみをふるいながら、上等でないにせよなんとか修道院らしい形にまで造りあげました。
アルベリオーネ神父はこれを見て、非常に驚き、そして、言われました。「これは新しいベツレヘムだ」と。
- *1 着衣式
- 修道服を、授与される式をいう。
- 1)師イエズス修道女会の誕生
- → シスター マリア・スコラスチカ(オルソラ・マリア・リバータ)
- → 師イエズス修道女会 創立のための祈り
- 2)ピエ・ディシェポレ デル・ディヴィン・マエストロ
- → 師イエズス修道女の使命
- 3)師イエズス修道女会の使命
- → 師イエズス修道女へ
- → 師イエズス修道女会 シスターへのインタビューから
- 4)3月25日、パウロ家族はじめての着衣式
- 5)たえまない賛美の使徒職のはじまり
注釈:
◆4--1 もうひとつのうまぶね 「師イエズス修道女会」