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新世紀ルーツへの巡礼

目次

師イエズス修道女会 認可への道 1

1) 困難な時期のはじまり

:

小聖堂での聖体礼拝

アルベリオーネ神父がパウロの息子、娘を世界への派遣に心を向けている時、師イエズス修道女会は、どのような歩みをしていたのでしょうか。

1924年に師イエズス修道女会が創立されて以来、会員は徐々に増えていきました。しかしこの創立は、まだ法的に公のものではありませんでした。しかし、実質的には聖パウロ女子修道会と師イエズス修道女会は、それぞれのカリスマに従い、独自の歩みを続けていました。

1928年、教会勧告に従い、師イエズス修道女会は、「聖パウロ女子修道会」という一つの名前の下に置かれることになったのです。

唯一の統治のもとに、制服もひとつになり、任務の分配は、それぞれの傾向にしたがってなされ、その上、一つの働きから他の働きに移ることもできました。聖体礼拝は全員のすべきことになり、与えられている任務により、1つのグループは1日に2時間、出版使徒職にたずさわるもう一つのグループには1時間と定められていました。

1929年聖パウロ女子修道会が司教直轄修道会として認可された時、師イエズス修道女会は聖パウロ女子修道会の中に組み込まれる形になり、二つの修道会ということは見送られます。師イエズス修道女会が、公的に認可されるまでには、まだまだ長い歩みが求められることになります。

1936年、シスタースコラスチカは、アルバで非常に困難な時期を過ごすことになります。彼女の任務はシスターテレサ・ラバッロに替えられました。アルベリオーネ神父は、彼女をエジプトに派遣します。彼女は、シスターマリア・エリア・フェレッロと共にエジプトに出発しました。アフリカにおける新しい創立です。なにがあったのかは知るよしもありません。シスタースコラスチカは、弁明することもなく、この出来事を沈黙のうちに師イエスにすべてを託しました。

旅行中、そしてかの地での滞在中、シスタースコラスチカは、聖母とイエス、聖ヨセフがエジプトヘ亡命したことをしばしば祈っていました。

アルバでは院長であり、創立者のもとですごしていましたが、エジプトにおいては一人の修道女として、小さな共同体の院長のもとにありました。

エジプトには、イスラムの人々が多かったので、彼女はイスラムのために祈っていました。  数年後に、アルベリオーネ神父は、クリスマスの黙想で、師イエズス修道女会シスターにこう言われました。「世界には2億にのぼるイスラム教徒がいますが、彼らの中に入っていくのはほとんど不可能に近いのです。今、イスラム教徒のために司祭を養成する特別の恵みを必要としていますが、この恵みを祈りによって求めてください」と。

聖師イエスがエジプトで生きられた出来事(マタイ 2.13~15、19~23)は、彼女たちにとって、従順と使徒職の価値を理解し実践するための照らしとなり支えとなりました。

アルバでのシスタースコラスチカは、師イエズス修道女会だけでなく、聖パウロ会に奉仕するすべての修道院の院長でもあったのです。ですから、彼女がそこにいないことは、師イエズス修道女会メンバーも聖パウロ会メンバーも、ある面でなにか不足を感じていました。

2年後、アルベリオーネ神父は彼女を呼び戻しました。「私はエジプトから呼んだ」と聖書にあるように。そして、帰国した彼女は、自分が育てた若い院長のもとに帰ってきたのです。

シスタースコラスチカがアルバに到着した時、院長ジャッカルド神父に挨拶(あいさつ)しました。彼は、1人の師イエズス修道女を呼び、彼女を共同体に同伴させました。彼女は、控え目な表情ながらも、満たされた喜びのうちに共同体に迎え入れられました。

シスタースコラスチカは、この体験から師イエズス修道女会メンバーにこう言っています。

]私は、師イエズス修道女に一つのことを言いたいと思います。
愛に満ちた沈黙と働きで、神に仕え、本気で神を愛すること。
これからも全て今までやったように続けてください。
それで私は満足しています。
私は、いつも祝福を送り、
あなたたちの祈りと愛徳を願いつつ、あなたたちのために祈っています。
多くのよい召命を捜し、愛と忍耐をもって養成するようにしてください。

師イエズス修道女会 保存記録から

使徒の女王像

ある時、アルベリオーネ神父は、ローマからジェノバに行き、シスターテクラ、シスタースコラスチカ、シスタークラウディア・ネグリ(よき牧者イエズス修道女会シスター)の3人に話があるということでした。

ローマからアルベリオーネ神父とシスターテクラ、シスタークラウディア・ネグリが出発し、アルバからはジャッカルド神父、シスタースコラスチカとシスターアマリアがジェノバに集まりました。なぜ、ジェノバだったのでしょうか。ローマに目立たないように、静かにジェノバで集まりをしたのです。

みなが集まった時、アルベリオーネ神父は、自分の心にあったことを語りました。そして、尋ねたのです。「あなたたちは、未来のためにどういうタイトルを望みますか。」

シスターテクラ・メルロは、「『“FIGLIE DI S.PAOLO”=パウロの娘』という名を選んだのは、自分たちではありません。スーザで私たちは自然にこう呼ばれ、それはよかったと思います」と返事しました。
 アルベリオーネ神父は、「よろしい」と答えられました。

次に、シスタークラウディアに尋ねました。彼女は、みなパウロの娘と同じ名前で呼ばれ、仕事は違うというのはどうでしょうかと答えました。
 アルベリオーネ神父は、「座ってください」と言って、これに返事はしませんでした。

今度は、シスタースコラスチカに、「あなたは?}と聞かれました。
 すると、シスタースコラスチカは、「私たちは、『“PIE DISCEPOLE DEL DIVINO MAESTORO”=師イエスの敬虔な弟子たち』と、呼び続けたらどうでしょうか」と、答えました。
 アルベリオーネ神父は、「これはとてもいい」と、立って答えられました。

その後、彼は皆をそれぞれの場に帰されました。

◆4--2 師イエズス修道女会 認可への道 1


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