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新世紀ルーツへの巡礼

目次

6--5 東洋の訪問を終えて

2) アルベリオーネ神父のレポートから

阿佐ヶ谷修道院の庭で
阿佐ヶ谷修道院の庭で

日本からアメリカへと旅だったアルベリオーネ神父は、それまでの旅行を考察し、その後の訪問地メキシコで「東洋の共同体訪問」の報告をしています。


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どの修道院も“最初の修道院”として開設され、“最初の修道院”としての働きがあります。場所や時、人々などの違いがあっても、世界は本質的に同じです。すなわち、人びと、使命、会憲の遵守、神の助け、個人的、社会的目的、手段など、いつどこにおいても同じであり、修道院開設のための特別な恵みもあります。

第1段階は、その国での召命と彼らの養成を目指すことです。道・真理・生命である聖師の最初の活動はこれでした。

ご自身の使命の後継者たち、アンデレ、ペトロ、ヤコブ、ヨハネなど……を選び、中心となる人物、よりすぐれた人、師を理解し、彼に従うようによく準備された人を養成することでした。イエスは彼らを育てることをご自身の公生活の最も大切な役務とされ、多くの時間をついやされたのです。

聖パウロ会の最初の修道院でも、まずはじめに召命を募集し、準備し、選びました。その後修道院の建物、機材、種々のイニシアティブなどを考えました。借家で機材が不足し資金がなくても、実りある使徒職を行うことは可能です。堅実で本当に効果的で幅広い働きは、召命を探し、助け、養成しながら行うのです。

何度も繰り返して言うことをゆるしてください。よりよい部分が私たちに提供されているのに、多くの機会を逃している修道院があるからです。

この働きに少しの時間しかあてず、あまり心を遣わず、もっとほかの人材を送ってほしいと、そればかり強く要求します。

これについては、願い求める前に月の静修の機会に、よく熟慮し、「この分野で私はこのことについて自分の分を果たしているだろうか」と自問するよう、私は求めます。

私たちの怠慢のゆえに、主が一つの召命さえもお与えにならないことがありませんように。本質的に熱心に燃えている修道院があります。この使命を果たす人には、すばらしい報いが準備されています。

若い人たちと志願者たちの面倒をよくみてください。そうすれば「主の刈り入れによい働き手を送ってください」の祈りが聞き入れられるでしょう。

どの国においても到着してから、使徒職を開始することができ、そこから日々の糧のための手段をも得ることができました。使徒職によって、また次の使徒職が果たせるようにしていくこと。これは生活のための第一の、主要な手段です。……もし私たちが熟考し、祈りに忠実なら、そして神の栄光と人びとの救いを熱望するなら、……小さな種がまかれ、芽を出し、成長し、実を結びます。このような慎ましいはじまりからさらにほかのイニシアティブ、仕事が生まれるものです。

聖櫃(せいひつ)からあふれ出る水の川のほとりに植えられた木が大樹になるまで成長し、時がくれば実を結ぶでしょう。私たちの使徒職には、汲みつくせない源泉と手段があります。一つの道が閉ざされても他の道が開かれるのです。

私たちの道には、恵みと祝福が与えられていることを、いつも認めることになるでしょう。……1人の兄弟が私にこう手紙に書いています。「私はずっとここに留まらせていただき、私たちの修道院のために、次の召命を探します」と。ここに聖パウロの生涯が読み取れます。師父は子らに良い道を示してくれるでしょう。

……親切にされることだけを要求しないようにしましょう。まず先に他者に対して親切を実践しましょう。愛すること、神のうちに生きること。

私が日本で聞いたことですが、異教徒である彼らは、子どもたちに怒ったり、あるいは大人にたいして不平を言う人たちを少し考えのせまいものとみなすということです。


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この報告をまとめた後、アルベリオーネ神父はメキシコからレポートを送っています。

◆6--5 東洋の訪問を終えて


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