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新世紀ルーツへの巡礼

目次

神への旅

2)シスターアスンタ・バッシが語るシスターテクラ・メルロの最後の日

シスターテクラ・メルロの地上における最後の日を、シスターアスンタ・バッシはこう報告しています。

看護師のシスターと共に
看護師のシスターと共に

1964年2月4日、総評議員はいくつかの問題について相談するため、アルバーノに集まりました。会議を開く前にみんなでシスターテクラ・メルロを見舞いました。
やせた顔にとても輝いている目が深く印象に残りました。それは、まったく罪のない幼子のまなざしと顔でした。

すでに人間的な考えや心配を超越したすみきったまなざしです。それは私たちを見つめてほほえんでいました。

病室に入ると待ちかねていたようすをなさいました。前から言葉が言えなくなっていましたが、まだなんでも聞こえ、理解することはできました。

「シスターテクラ・メルロ、いま私たちは会議を開きます。お祈りしてください」と言うと、ほほえみながら、「はい、はい」と答えられました。

お昼ごろ、診療所長のシスターが、「シスターテクラ・メルロのお食事は終わりました。お休みになる前に、みなさまにごあいさつがなさりたくて待っておいでです。」と言ってきました。

そこでもう一度病室に行きました。そのまなざしがまた強く私の心を打ちました。隠しきれない心の喜びがそこからのぞいている、そんなまなざしです。そのまなざしとほほえみは、もうこの地上にいることに、なんの関心ももたなくなった人のそれでした。

私は今日のシスターテクラ・メルロは、なんという表情だろう、と思いました。

翌日の同じ時間には、シスターテクラ・メルロの臨終がはじまっていたのです。

2月5日、朝、アルベリオーネ神父のお見舞いが病人を慰めました。午前中ずっと苦しんでいたのに、あの地上のものではないほほえみはとだえませんでした。

11時ごろ、副総長のシスターイグナチア・バッラは、1人のシスターを出迎えるため飛行場に行こうとして、病室にあいさつに行きました。

「急いで行ってまいります」と言うと、シスターテクラ・メルロは、じっと長く彼女を見つめて、ほほえみながら、「はい、はい」と言われました。

シスターイグナチア・バッラが部屋を出ようとすると、そばにいた診療所長が呼びとめました。ふりかえると、シスターテクラ・メルロはもう一度来るように手で差し招いておられました。

シスターイグナチア・バッラがベッドのそばにもどって身をかがめると、シスターテクラ・メルロはなにも言わずに手をあげて彼女を祝福し、抱擁し、接吻されました。

それからシスターイグナチア・バッラは診療所を出る前、手術したばかりのシスターをちょっと見舞いに行っている時に、急に呼ばれました。「シスターテクラ・メルロがお悪い」と。

医師たちはシスターイグナチア・バッラに、「病院を離れない方が賢明です」と告げました。

彼女は急いでシスターテクラ・メルロの病室にひき返すと、シスターテクラ・メルロは急に重態に陥ってすでに危篤でした。実に副総長への最後の接吻は、別れのあいさつだったのです。

その場面を見ていた診療所の責任者は、「私はあの最後のあいさつが忘れられません。まるで自分の遺産、つまり彼女らしい単純素朴な仕方で、忠実な自分の代理者への修道会をゆずり渡したようでした」と語っています。

12時30分ごろ、臨終の苦しみがはじまり、ベッドを囲んで私たちは祈っていました。シスターテクラ・メルロの顔は、あるシスターがシスターテクラ・メルロのために描き、部屋に飾ってあった臨終のキリストに似ていました。イエスと同じ方に頭をたれ、同じ苦しみの表情をしていました。あらい息づかいが強くなり、やがてまたゆっくりという状況がしばらく続きました。

アルベリオーネ神父が到着し、ドラゴーネ神父も医師たちもそこにいました。昼ごろ、発作が起き、続いて2回走るように発作が襲いました。さらに何回か……。臨終です。

アルベリオーネ神父は、「福音書をとって、イエスのご受難のところを読みなさい」と言われ、シスターテクラ・メルロの姪であるシスターマリア・テレサが福音書を開いて読みはじめました。

ヨハネ福音書19章30節「イエスはみかしらをたれて息をひきとられた」というところまででした。

そこでアルベリオーネ神父は、「もういい。今度は、はっきり声をあげて誓願文を唱えなさい」と言われました。

シスターテクラ・メルロの臨終の苦しみが、そばにいた私たちの心を刺していました。

部屋は非常に静かで、読む声だけが聞こえていました。

アルベリオーネ神父は、身をかがめて、「シスターテクラ・メルロ、あなたのいのちを修道会のためにささげなさい。修道会の全会員が聖なるものとなるように、あなたと、あなたのいのち、苦しみをささげなさい」と。

そこまでくると、アルベリオーネ神父は、声がつまって話せなくなりました。しばらくしてまた、近づき、「イエスよ、私はあなたに希望をおき、あなたを信じます。心をつくしてあなたを愛します……」と祈られました。

今や祭壇と変わったあのベッドの周りは、また沈黙に包まれました。シスターテクラ・メルロの苦しい息づかいはしばらく続き、しだいに遠くなりました。

シスターテクラ・メルロの目は開き、また閉じ、手の指が伸びました。呼吸は静かになり、けいれんもおさまりました。臨終のもだえはひどいものでしたが、最後の瞬間は非常に穏やかでした。

シスターテクラ・メルロは、ひたすら自己の聖性と修道会の発展を求めていましたが、いつも彼女の目前にあったこの2つの目標は、いま達成されたのでした。

確かに、死の日、1964年2月5日までに、神と彼女との一致は神秘的段階に至っていました。

また、愛と力と賢明さのかぎりをつくして指導してきた修道会の成長、発展をも見ることができたのでした。

第2バチカン公会議で出された『広報機関に関する教令』は、1人の女性が生来の病弱と戦いつつも賢明に指導していったこの修道会の働きを、教会が公認したと言うことができます。

この教令は、すぐに印刷され、アルバーノに入院中であったシスターテクラ・メルロの手元に届けられ、彼女はそれを手にとり、深い喜びの中で、「主よ、いまこそ、このはしためを安らかに行かせてくだいます」(ルカ 2.29)と言うことができたのです。

この教会の公認により、シスターテクラ・メルロは自分が教会に仕えたこと、キリストのみ言葉を宣教するために役だつ、効果的遺産を残すのだという確信をもつことができたと思います。

シスターテクラ・メルロは、手にしたパンフレットを読み、心から「神に感謝」という言葉が出たのでした。

教会の中で、はっきりと聖パウロ女子修道会固有の使命が認められたということのできるこの教令は、シスターテクラ・メルロにとり地上における最後の、いいしれぬ喜びとなったのでした。

◆10-3 神への旅


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