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新世紀ルーツへの巡礼

目次

神への旅

3)シスターテクラ・メルロ、アルバーノで息を引き取る

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  棺に同伴する創立者

アルバーノの使徒の女王病院でシスターテクラ・メルロは息を引き取りました。 「テレザ・メルロ」、修道名「テクラ」、パウロの娘たちのプリマ・マエストラ(第1の先生という意味)は、1964年2月5日水曜日16時に。70歳の誕生日を15日後にして、天に召されました。

フランシスコ・オイエッティ教授は、「2月5日、シスターテクラメルロの心臓は止まった。長い病気を耐え忍んだあの穏やかな力にふさわしく、その死はとても静かだった。病気中、言葉が話せなくなったかわりに、目が、その知性の透明さと、診療所のための耐えざる関心とを語っていた。そのまなざしは柔和だが、強く、遠くを見つめる人のまなざしだった。あらゆる事業を容易にする確固たる信仰のまなざしだった……」と語っています。

パウロの娘たちにとって、彼女の死は1人の上長者の死ではなく、修道会創立に大きな役割を果たした母の死でした。

パウロ家族の他の会も、同様でした。彼女は、パウロ家族のそれぞれの会の誕生と発展に種々の形の協力をしたからです。

シスターテクラ・メルロの霊的手記には、いつも開かれた心でなされた自己奉献だけが書かれています。

主よ、私は全てのあなたの聖なるお望みに従う心でおります。
……全てをあなたのために、愛のために、償いの心をもってお受けします。
修道会の全ての必要のため、教皇のため、公会議のため、アルベリオーネ神父とパウロ家族全体のために。

シスターテクラ・メルロのご遺体は、アルバーノからローマの使徒の女王大聖堂に厳粛な雰囲気の中で運ばれ、全世界のパウロ家族のメンバーに見守られながら葬儀が執り行われました。

聖パウロ女子修道会の会員たちが、重い柩を肩にローマ・ヴェッラーノの墓地に向かう霊柩車まで運びました。

シスターテクラ・メルロの遺体は、3年後の1967年2月5日、使徒の女王教会堂の最地下聖堂に安置されることになりまた。この帰院のときには、道のある部分では、いろいろな国の出身の聖パウロ会会員たち8人も柩を運びました。シスターテクラ・メルロは、彼らにとっても母だったのです。

次回には、アルベリオーネ神父のシスターテクラ・メルロの死去に際しての話をご紹介しましょう。

◆10-3 神への旅


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