home > 女子パウロ会とは > 新世紀ルーツへの巡礼 >  10)創立者たちの最後の奉献 への招き創立者の死

新世紀ルーツへの巡礼

目次

創立者の死

10) 列福調査開始へ(3)

ロザリオを祈る創立者

アルベリオーネ神父に取り次ぎの祈りをささげ、恵みを受けた感謝の報告をしてくれる手紙も寄せられ、これこそは、彼が聖師イエスのみもとで持っている取り次ぎを物語るものです。

幼きイエズスの修道女会シスター・M・レティツィア・イッポリティは、両脚が麻痺してベットに釘づけになっていましたが、アルベリオーネ神父の取り次ぎにより恵みを受けました。彼女はこのように書いています。

私は、ミサ聖祭の後、心から祈りが吹き出てきました。「どうぞ、アルベリオーネ神父様、あなたはイエス様の大のお友達でしたから、私の足が使えるように、イエス様にお願いしてください。病気を治してくださいとはお願いしません。私の魂に病気はよいことなのだと思いますから、でも、私が全然動けないばかりに、親切ないい看護師さんたちにどんなに迷惑や苦労をかけていることか、おわかりでしょう? 1人で動けるようにしてください。私の言うことは聞かないとおっしゃるなら、あなたの娘さんたちのためを思って、私にその恵みを下さい」と。

私は信頼して答えを待ちました。答えは、何日もたたないで来ました。初めは、指が動き、つぎに足、そして両脚で立つ、というふうに徐々に。最後に、6月始めでしたが、私は初めて歩けたのです。先生方も看護師さんたちも驚きました。今は、杖を使って、さっさと歩けます。……神父様が近くにいて、私を支え、励ましてくださるのを感じています。信頼してお願いしたことが断られたことは、今までに一度もまだありません。

その他、いろいろの方から感謝の手紙が寄せられていました。

栄光への歩み

1982年6月19日土曜日、マリアのけがれなきみ心の祝日。この日は全パウロ家族にとっても教会にとっても、また社会的コミュニケーションにたずさわる人びとにとっても、大きな喜びと大きな恵みの日でした。

聖パウロ修道会の母院(北イタリア・クネオ アルバ市)では、教皇ヨハネ・パウロ2世の指令で、パウロ家族の創立者、神のしもべヤコブ・アルベリオーネ神父の列福調査が公式に開始されたのです。

それには、聖パウロ修道会総会長レナート・ペリーノ神父、パウロ家族の女子修道会のそれぞれの総長、聖パウロ修道会に併設された四在俗会と聖パウロ修道会の協力者会の多くの代表たちが列席しました。

アルバのファウスト・ヴァッラインク司教の司式のもとで聖パウロの聖堂で行われた共同司式ミサ、総会長はこうあいさつしました。

この公式調査開始は、私たちにとって大きな慰め、大きな励ましであるとともに、とりわけ、私たちの父・創立者が先頭に立って歩いた生き方と使命がより深い意味で認証を受けるということです。

彼は、「まだ人の歩かなかったこの道、ある面は道しるべもないこの道を私たちの先にたって進む聖人たちが必要だ」と言っていました。

アルベリオーネ神父は、神と福音と教会と人類社会のどれにも忠実でありながら、先頭に立ってこの道を歩き、道を開いたのでした。神のしもべヤコブ・アルベリオーネ神父の列福調査が、社会的コミュニケーションにたずさわるすべての人びとに特別に「関係がある」のは当然なことです。

「私はせめて天国でよいパウロ会会員でありたい。天で、兄弟たちの兄弟となろう。天国では、善をもたらすより迅速で効果的な手段、特に出版、映画、ラジオ、テレビを使うすべての人びとのために働けるよう、今からお願いしている」と、彼は遺言のように書き残しました。

アルベリオーネ神父が地上でこよなく愛し、その栄光を求め続けた使徒の母・女王であるおとめマリアと使徒聖パウロが、教会と世界の前に彼に栄誉を与えるために、師キリストに取り次がないはずはない、という確信があります。こう確信しているからといって、神のこのしもべに栄誉が与えられるように祈らないでよいとか、彼を知り、彼を知らせるように努めないでよいということにはなりません。今なお尊敬をもって記憶されている偉大な教皇パウロ6世が「今世紀の一大驚異」と定義した神のしもべなのですから。

この日以来、2003年4月27日、教皇ヨハネ・パウロ2世により、福者にあげられるまでさまざまな調査が列福のために行われることになります。

◆10-5 創立者の死


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