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新世紀ルーツへの巡礼

目次

 創立者たちの最後の奉献

シスター マリア・スコラスチカの旅立ち2

2月10日は、聖スコラスチカおとめの記念日です。
アルベリオーネ神父はこの日を師イエズス修道女会の創立の日としました。また、創立者の傍らにあって、修道会の創立の歩みに協力した最初のシスターの名前もこの聖人からいただき、シスターマリア・スコラスチカと呼ばれました。
今日彼女を思い起こしながら師イエズス修道女会のために祈りつつ、「シスター マリア・スコラスチカの旅立ち2」をお送りいたします。

サンフレにて


十字架

サンフレは、のどかな丘陵地にあり、ここでの最初の生活では彼女は散歩なども行うことでき、ゆっくりと病の進行を見つめつつ、最後の日々を過ごしていました。

ある日、散歩の途中、道の端にある溝に近づきすぎたため、転がり落ちたことがあり、木にぶつかってとまり、事なきを得たものの、驚きあわてる姉妹たちにシスターマリア・スコラスチカは微笑んでこう言っていました。 「まあ、あなたたちは、守護の天使がいつも私の近くにいて、私を助けようと用意していることを信じていないのですか?」と。

1982年に脳の発作の兆候のため、アルバの病院で手術する必要がありました。入院中彼女を見た医師や看護師たちは、居合わせた人びとに「この病人は偉大な女性だ」と話していました。

1987年3月7日、療養中のシスターマリア・スコラスチカは、新たに発作が起こり、不全麻痺に冒され完全に話すことができなくなりました。これはあたかもかつて創立者が最初の説教で言われた「沈黙、沈黙、沈黙をしなさい」を新しい方法で再現するかのように、彼女の深い沈黙がはじまりました。

3月24日、彼女の容態は急変し、聖パウロ会のジョバァニ・フェレッロ神父によるミサが病室で行われ、共同体の会員も参加しました。

19時ごろに、シスターたちは聖堂で晩の祈りをささげていましたが、急報を受けシスターマリア・スコラスチカの枕元に集まりました。彼女のまなざしは、永遠を写し出しているかのようで、非常に呼吸が困難だったにもかかわらず、彼女はあたかも皆の集まるのを待っているかのようでした。そして、19時15分彼女は安らかに息を引き取りました。

そのとき、教会は「神のお告げ」の祭日を荘厳な前晩の祈りによってはじめるところでした。 サンフレでは、シスターマリア・スコラスチカの遺体を一室に安置し、シスターたちはそこで祈りをささげました。

彼女の生涯において、常に忠実であった聖体礼拝のときに身につける青いマントと白いスカプラリオの姿で、シスターマリア・スコラスチカはそこに眠り、その顔には微笑が浮かんで、清らかさを取り戻したようでした。

翌日から師イエズス修道女たち、多くのパウロ家族の会員たち、サンフレやガァレーネの住民など、多くの人が彼女を弔うために訪れました。シスターマリア・スコラスチカの生誕の地、グアレーネの主任司祭ビアジオ・ガリアルディ神父も、遺体のそばで祈るために小さなグループを伴って訪れました。このように多くの人びとの訪問により、シスターたちは、この地で1人の聖人が亡くなったのだということを理解したのでした。

3月27日、亡くなってからすでに3日たっていましたが、シスターマリア・スコラスチカの顔は、実に美しく、ゆったりとして若々しい姿で、シスターたちだけでなく、家族や多くの訪問者も驚くほどでした。

遺体の祝別の後、ガァレーネ小教区の信徒たちや会員と最後のお別れをし、棺はアルバに向けて出発しました。

パウロ家族全体の希望に添って、葬儀ミサはアルバの聖パウロ大聖堂で、パウロ会士フェレッロ神父の司式によって行われました。このミサには、パウロ家族はもちろんのこと、アルバ市の代表者など、参加者は広範囲に及び、だれもが彼女と親しい関係のある人びとでした。遺体は、アルバのパウロ家族の墓地地域にある師イエズス修道女会の墓に納められました。

真のピエ・ディシェポラ(真の師イエズス修道女、真に敬虔深い聖師の弟子)



シスターマリア・スコラスティカの部屋

雑誌‘パウロの協力者’に掲載された記事

雑誌‘パウロの協力者’に掲載された記事

創立者は、1947年に彼女について「あなた方は、彼女の娘として感謝、尊敬、敬意をもたなければなりません。彼女の教訓、忠告、手ほどき、祈りを重要視しなさい」と言っていましたが、実に、シスターマリア・スコラスチカは、師イエズス修道女会の育ての親であり、教会法による修道会の設立に至るまで彼女らの師でした。

シスターマリア・スコラスチカとともに修道会の初期の会員であった、シスターマルゲリータ(メティルデ・ジェルロット)はこう証言しています。

 シスターマリア・スコラスチカの導きの下、創立者の指導に私たちは従っていました。

 彼女はいつも勤勉で、明るく、喜んでいました。それは、多くの試みが続いたときでさえも、彼女のまなざしから清さは消えませんでした。

 実に彼女は、生きている生活の規範でした。

◆10-3 神への旅


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