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なるほど! 社会教説 “しろはた”

第10回:連帯の原理

<第1部、第4章、6 連帯の原理(192-196)>

 「連帯責任」とか「連帯保障」、「連帯債務」などと聞くと、何か厄介なことをしぶしぶ引き受けさせられるイメージがあります。また、「貧しい人との連帯」や「苦しんでいる人との連帯」という表現は耳にしても、「富裕者との連帯」とか「しあわせな人との連帯」という表現はあまり耳になじみません。このことから考えると、「連帯」は弱者が互いに団結すること、あるいは、共感者が弱者に寄り添いともに行動すること、と解釈できそうです。

 たしかに、弱者同士とその共感者の連帯は大変重要であり、不正や構造的な人権侵害に立ち向かうために必要です。連帯はここから始まりますし、その連帯を妨害するようなことがあってはなりません。しかし、残念なことに、連帯することに対して、無関心や反感もあります。秩序を乱す、反社会的な活動という偏見があるためです。

 そもそも「連帯の原理」は、弱者だけでなく、全人類が連帯することを求めます。全人類といっても、具体的に行動するのはわたしたち一人ひとりですから、わたしたち一人ひとりが一人ひとりと連帯することになります。それが広がって、団体や地域、民族や国家、そして全人類の連帯を目指します。連帯することで、一人の人の痛みや悲しみをみんなが共有し、その克服を目指して、ともに行動します。

 まるで絵空事のようだと思われるかもしれません。しかし、連帯なしに「みんなでしあわせになりたい」という人間の根本的な願いを追求することはできないのです。


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