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教会をたずねて

カトリック碑文谷教会 [サレジオ教会](東京教区)

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カトリック碑文谷教会


  • 教会堂名:江戸のサンタマリア
  • 主日のミサ:7:00、9:00(は日曜学校がある時のみ)
          10:30、18:00
  • 〒152-0003 東京都目黒区碑文谷1-26-24
  • TEL:03-3713-7624 FAX:03-3713-7513
聖堂正面の十字架と聖母と聖ヨハネの壁画モザイク
聖堂正面の十字架と
聖母と聖ヨハネの壁画モザイク
聖櫃(せいひつ)
聖櫃(せいひつ)
祭壇(祭壇前面に描かれた 最後の晩餐のモザイク)祭壇(祭壇前面に描かれた
最後の晩餐のモザイク)
朗読台
朗読台
祭壇横 み心のイエス像
祭壇横
み心のイエス像
祭壇横 被昇天の聖母マリア像
祭壇横
被昇天の聖母マリア像
内陣 ピエタ像
内陣 ピエタ像
内陣 青少年の友ドン・ボスコ(聖ヨハネ・ボスコ)像
内陣 青少年の友ドン・ボスコ
(聖ヨハネ・ボスコ)像
江戸のサンタマリア
江戸のサンタマリア
祭壇前部のアーチ壁画 左 キリストの御体と御血をささげる天使
祭壇前部のアーチ壁画
左 キリストの御体と
御血をささげる天使
アーチ状の梁の壁画中央 キリストの象徴である子羊
アーチ状の梁の壁画中央
キリストの象徴である子羊
祭壇前部のアーチ壁画 右 聖堂をささげる天使
祭壇前部のアーチ壁画
右 聖堂をささげる天使
十字架の道行
十字架の道行
洗礼盤
洗礼盤
告解場
告解場
聖堂正面
聖堂正面
聖堂の正面入り口
聖堂の正面入り口
聖堂2階 パイプオルガン
聖堂2階 パイプオルガン
聖堂の正面入り口 聖水入れ
聖堂の正面入り口
聖水入れ
聖堂の横の入り口 聖水入れ
聖堂の横の入り口
聖水入れ
聖堂 ゲッゼマニのステンドグラス
聖堂
ゲッゼマニのステンドグラス
小聖堂
小聖堂
小聖堂 扶助者聖母の像
小聖堂
扶助者聖母の像
小聖堂 良き牧者のステンドグラス
小聖堂
良き牧者のステンドグラス
鐘楼
鐘楼
ルルド
ルルド

歴史と聖堂内部

1947(昭和22)年に、現在の碑文谷教会のある土地をサレジオ会が買い、翌年の1948(昭和23)年に木造二階建ての家が建てられました。一階は聖堂と食堂および応接間、二階がサレジオ会の司祭たちのための住居でした。

 最初にこの建物の住人となったのは、ルイジ・ダルフィオール神父でした。彼はまだガスの引かれていない中、ハンモック生活を開始しました。

 この碑文谷における最初のミサは、ダルフィオール神父がささげた1948年9月5日の主日のミサでした。
 翌年2月には講堂が建築され、5月29日にはチマッチ神父の司式によりミサがささげられ、子どもたちを中心に1300人もの人たちが参加しました。
 この講堂の建設と平行して幼稚園の開設が準備され、ダルフィオール神父が初代園長となり、同年5月9日には70人の園児が入園しました。

 また、広い敷地を子どもたちに開放し、サッカーなどで自由に遊ばせました。1950年7月には、サレジオ野球チームが目黒代表として東京大会に出場しました。

 サレジオ教会と呼ばれ、多くの人々に親しまれている現聖堂の建築が始まったのは、1952(昭和27)年12月8日です。
 この聖堂は、総建坪317坪、間口16メートル、奥行47メートル、鐘楼の高さ36メートルあまりという国内では大規模なものの一つでした。
 1954(昭和29)年5月22日に献堂式が行われ、この新聖堂は「江戸のサンタマリア」に奉献されました。

 この江戸のサンタマリア教会は、1967(昭和42)年に目黒教会から独立し、小教区・碑文谷教会として再発足しました。当時の信徒数は約600名でした。
 1989(昭和64/平成1)年1月には、新司祭館が建築され、1999(平成11)年には、50周年を迎えました。


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