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教会をたずねて

カトリック川内教会(鹿児島教区)

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カトリック川内教会

  • 教会堂名:殉教者の聖母
  • 主日のミサ:9:00
          土曜 19:00
  • 〒895-0054 鹿児島県薩摩川内市若松町4-7
  • TEL:0996-22-3838 FAX:0996-22-4654
内陣
内陣
祭壇
祭壇
祭壇正面 壁画
祭壇正面 壁画
聖櫃(せいひつ)
聖櫃(せいひつ)
朗読台
朗読台
洗礼盤
洗礼盤
聖堂正面 4福音記者
聖堂正面 4福音記者
聖母子像
聖母子像
十字架の道行
十字架の道行
十字架の道行
十字架の道行
聖堂後方
聖堂後方
前方から見た左手窓際
前方から見た左手窓際
前方から見た右手窓際
前方から見た右手窓際
オルガン
オルガン
告解室
告解室
聖堂入り口にある教会の歴史
聖堂入り口にある
教会の歴史
聖堂入り口にある十字架と188人の殉教者地図
聖堂入り口にある十字架と
188人の殉教者地図
聖堂入り口にあるレオ税所の絵
聖堂入り口にある
レオ税所の絵
庭のキリシタン灯籠
庭のキリシタン灯籠
聖堂の玄関前にある石碑
聖堂の玄関前
にある石碑
納骨堂
納骨堂
皿山の教会跡
皿山の教会跡

歴史と聖堂内部

長崎の西坂において日本26聖人が殉教してから5年後の1602(慶長7)年、マニラからドミニコ会のモラーレス神父たちが、嶋津義弘の招請に答えて下甑の長浜に上陸しました。
 1605(慶長10)年には、甑島(手打)に教会を建てましたが、台風のために倒壊し、京泊に教会を再建することになりました。

 1606(慶長13年)に、京泊にロザリオにささげられた教会と修道院が建築されました。
 この教会で、1608(慶長13)年7月に、税所七右衛門は、レオの洗礼名をもらい受洗しました。しかし、その4カ月後の11月17日レオ七右衛門は薩摩の最初の殉教者となりました。

 翌年、京泊のドミニコ会士たちは薩摩を追放されました。
 彼らは、教会を解体し、レオ七右衛門も遺体と共に長崎へ退去しました。1614(慶長19)年には多数の宣教師が追マニラに放されました。モラーレス神父は追放は逃れましたが、1622(元和8)年西坂で、殉教しました。

 再び川内の地でカトリック教会が宣教をはじめたのは、明治に入ってからでした。
 メソジスト教会の牧師久保田義高師は、1885(明治18)年に、故郷皿山に満留八郎次氏を訪ねました。満留氏は、長崎でフェリエ神父に出会いカトリックに改宗していました。この2人が、川内教会の発展に尽力することになりました。

 京泊の教会撤去から280年を経た1889(明治22)年、パリ外国宣教会のヨセフ・ベルナール・フェリエ神父は、天草の大江と崎津に教会を建てた後、阿久根に到着しました。彼は、ここで久保田師と出会い、皿山に到りました。
 フェリエ神父は翌年には、皿山、向田、鹿児島に土地を購入し、皿山に石造りの聖堂を完成させました。この年の受洗者は140名でした。

 1908(明治41)年、カベニャク神父によって向田に川内教会が落成されました。皿山教会は布教所として残され、1930(昭和5)年には改築が行われました。

 1934(昭和9)年には、クリストロア修道会が、種子島を引き上げて川内教会に居住し、聖名女学校を開校。1940(昭和15)年、戦争のためカナダ人の修道女らはやむなく帰国し、邦人初の修道女会である純心聖母会が学校を引き継ぎ、翌年鹿児島純心高等女学校と改称しました。

 1945(昭和20)年7月の空襲で、向田の教会は全焼しまし、1948(昭和23)年バラック建ての仮聖堂が建てられました。1951(昭和26)年、すでに売却されていた皿山の聖堂が解体されました。
 翌年には、向田に仮聖堂が建てられて、バラックは司祭館となりました。
 1956(昭和31)年、聖母幼稚園が開園され、翌年、国分寺町に教会墓地のための土地を購入して、皿山の土地も買い戻して、その翌年には2階建ての司祭館が建てられました。
 1963(昭和38)年には、教会の敷地交換に伴い、向田町から若松町に教会が移転することになり、翌年には現教会の津に聖堂を移転して、聖母幼稚園も若松町の新園舎に移転しました。

 1966(昭和41)年に、宮之城に土地を購入し、レオ七右衛門の最初の記念ミサが行われました。
 またこの年、新聖堂が落成献堂式が行われました。
 宮之城幼稚園と巡回教会が1967(昭和42)年に開設され、串木野教会が1971(昭和46)年に、入来教会が1972(昭和47)年に落成して、入来・宮之城地区は、入来小教区となりました。

 甑島長浜に、ドミニコ会上陸危難碑が1979(昭和54)年に建立され、1985(昭和60)年には、レオ七右衛門の殉教祭が、鹿児島教区の行事として行われるようになりました。

 1991(平成3)年には、宣教再開百周年記念ミサと祝賀会が行われ、記念誌が発行されました。
 この年、聖堂の老朽化により、聖堂を建て直され、12月8日新聖堂の献堂式が行われました。


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