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どうしてシスターに?

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シスター マリア・テレジア 赤波江滿子

「母の胎内から」

桔梗


修道誓願宣立から37年目を迎えた。今日までの道を振り返るときいつも、両親の愛なしにはここにいるはずもなかった自分の「いのち」について感謝している。

修練期のころ、幼いころから、教会でシスターの姿を見ると心が躍り、だれにも勧められもしないのに、「シスターになりたい」というあこがれと目標のようなものを抱いていた自分を不思議に思っていた。

自分の召命の道を振り返りながら、いただいた数々の無償の恵みの裏に、「きっとだれかが、私のために祈っていた」という確信が強まっていった。それで6人兄弟の中で紅一点である私の入会に反対もせず、むしろ支えてくれた母に、誓願を立てた年の休暇のときそっと聞いてみた。「お母さん、私が生まれる前、何か私のために祈ったこと、ない?」すると、母は、ちょっとうつむき加減に、男の子が3人続いたので、次はどうしても女の子が欲しくて祈っていたという。「もし、女の子をいただけたなら、マリア様にささげます」と(実は、私が生まれた年の夏に、二番目の兄が脊髄カリエスで帰天したので、私にとって兄は3人である)。

これを聞いたとき、私の中で、それまで抱いていたナゾの一つがやっと解けた。私のあとに生まれた3人も皆男の子。母が祈っていたそのときに、女の子が生まれたということは、神の答えなのか、あるいは偶然なのか・・・母はそれを神の答えとして受けとめた。意識していなくても、私もまた母の胎内から、神が自然と超自然を混ぜたようにして編み上げてくださる救いの歴史に協力するように入れていただいたのであろう。

母は、花を育てるのが好きで、家の前にはいつも四季折々の花が咲いていたが、その花々をよく惜しげもなく切っては教会(長崎県佐世保市相の浦教会)にささげていた。ある土曜日、小学4年生だった私は、母のお使いで丘の上にある白い教会への坂道を登っていた。庭から切りとられたばかりの花々を束にして、両手でしっかり抱えて登りながら、ふとその花と一緒に、自分自身もささげているように感じた。

やがて主の庭に移しかえられるときが示されたのは15歳の夏であるが、私はきっぱりと「行きたい」と両親に告げた。今は、父も母も天国から、私の召命を見守り祈ってくれている。


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