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どうしてシスターに?

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シスター マリア・チェチリア 池田洋子

目覚め

シスター池田


わたしは、幼いときシスターの姿を見ると嬉しくなり、「何会ですか? お家はどこにありますか?」とたずね、長い修道服、美しい微笑みにうっとりとしていた。小学3年生になり担任の先生は「大きくなったら何になりたいですか?」と、一人ひとりに聞かれた。わたしは胸がドキドキして、手をギュッと握りしめていた。「洋子ちゃんは?」と言われ、飛び上がって大きな声で「シスターになります」と答えた。「ほかには?」と言われたが、首をかしげて座ってしまった。時の流れとともに、シスターになりたいという思いは小さくなっていった。

反抗期になると、激しく荒れて両親を悲しませた。ある日、学校で筆箱を開けると、一枚の小さな御絵が入っていた。裏を返すと、「“”お祈りしています。”母より」と書いてあった。胸が痛み目頭が熱くなった。

それから、わたしはスポーツに夢中になり、バレーボールの選手として学校代表で、遠征の旅に出るようになった。のびのびとした学生生活は、本当に楽しかった。社会に出ると全てが新鮮に写り、友人も増え、青春を謳歌(おうか)していた。しかし、信じていた友に裏切られた時のショックは大きく、なかなか立ち上がれなかった。

ある日、わたしは母に着物を着せてもらった。紐を締める母の手に温かなものを感じ、「母さん、わたしは幸せだね。悲しくても、母さんの翼のかげに隠れることができるもの……」母は黙ってわたしの手を握りしめた。なぜか涙があふれ、教会に行きたい気持ちにかられた。

教会はわたしの家の前にあった。ご聖体の前にひざまづくと、涙が流れて止まらなかった。幼い時から今日までの出来事が、走馬燈のように巡り思い出された。そして、道からそれないように静かに導いてくださった方に気づいた。ミサに行かず社会の楽しみにうつつをぬかしていたわたしが、辛く悲しかった。人間は変わりやすい。しかし、神さまの愛は変わらない。これは大きな体験だった。わたしは母の愛によって、神さまの愛に気づいた。幼い時から招き続けてくださった主に、もう背をむけることは出来ない。喜びを伝えよう。歩く宣教女になろうと決心した。

今、わたしは大阪修道院で働いている。感謝と喜びをもって。


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